気候の大変動期
縄文時代中期と後期の境を前後する数百年間は世界的な規模で気候の大変動期であったものと考えられる。
いわゆるヒプシサーマル末期からの気候変動は高・中緯度地帯にいは寒冷化を、低緯度地帯には乾燥化をもたらし、後氷期以後安定して続けられていた人類の生活にそれぞれの地域で多大な打撃を与えた。この影響は気候の変動が一時に起こるものでもなく、又その変動がひきおこすものもそれぞれの地域によって区々であり、またさらに重要なことはそれに対応する人類のあり方である人類の対応はそれぞれの環境により、また環境の利用の仕方、もっていた生産おあり方によって実に様々な方法をとっている。したがって、その影響が現れるのは地域地域によって時期的なずれがかなりあるようである。紀元前3000年紀後半から紀元前2000年紀にかけて広く世界的にみられる現象である。
日本においても、社会の大きな変動が見られる。中部山岳地帯の中期文化の衰亡は広く認められるところであるし、また縄文文化の最北辺の地域である北海道東部では、これがより劇的に表れる。多くの独自性を持ってはいるが、巨視的に見れば、東日本の縄文文化の一つの流れの中に早期末以来あった道東部の縄文文化は中期末を持って完全に姿を消してしまう。後期前葉には、この地域は全く無人化してしまうのようである。今後この地域の調査が非常に精細に行われたならば若干の遺物が採集される可能性がなくはないが、現状では一点の土器片も採集されていない。近年、大沼忠春(1981)、森田知忠(1981)により、従来、縄文時代中期後葉と考えられていた土器群を縄文時代後期に編年付けようとする考え方が提唱されているが、論拠にはなお問題点があり、同じ難いものである。また仮にこれらが時間的に他地域の縄文時代後期の土器群と平行したとしても、大沼・森田によって後期に編年づけられた土器群は縄文時代中期の土器群伝統の延長上にあるものであり、これに続いて道東地域に現れる縄文時代後期中葉の土器群とはは埋めがたい断絶が認められる。新たに現れる後期中葉の土器群は明らかに関東地方の加曾利B式に連がるものであり、北海道東部の伝統とは全く連がらないものである。
このことは縄文文化の最辺境地、あるいは中期以前の縄文文化の生業が可能な環境の限界に近い地域では、気候変化が及ぼす影響は極めて大きく、このような劇的な変化を見せたものと考えることができよう。まさに我が国においても激動の時代であったと考えられる。
(縄文文化の研究・9・縄文人の精神文化・雄山閣出版株式会社)