悲田院
悲田は仏教用語。三福田(恩田・敬田・悲田)の一。貧窮者に施しをなすすことによって福果を得るをいう。中国では唐代、長安に悲田養病坊が置かれた。日本では扶桑略記に養老七年興福寺内に施薬院・悲田院を建て、封戸・水田・稲を施入したとの所伝がある。光明子による悲田院の設置は、皇后宮職に施薬院が置かれた天平に年のことであろう(続紀天平二年五月辛未条)。その後平安京にも東西の悲田院が置かれ、病者・貧窮者を収容したことが見え、要略七十、糺断雑事に引く寛平八年閏正月十七日の格には、左右看督近衛らが旬ごとに施薬院・東西費田院の病者・孤児を巡検すべきことが定められている。左右京職式には「凡京中路辺病者・孤子、仰九個条令、其所見遇、随便必令取送施薬院及東西悲田院」との規定がある。また同種の施設として、続後紀天長十年五月丁酉条に、武蔵国の奏請により、同国多摩・入間両群の境に悲田院を置き、行旅の飢病者を救済したことが見える。
  (続紀・天平宝字4年6月7日・新日本古典文学大系)