「ねぇ、ベアトリクス達に気づかれないかしら?やっぱりお城にいましょう」
ささやき程度の小さい声が前の少年にかけられる。しかし、少年は聞く耳を貸さず、しきりに窓から外を注意深くみていた。まるで悪戯でも考えているかのように少年の髪と同色のしっぽがくるくると孤をかいて動いている。主人の感情をそのまま表しているようだ。
「大丈夫だよ。ガーネットだって息抜きが必要だろう」
たぶんベアトリクスが何とかしてくれるさ、と少年は付け加え、まるで身軽なネコのようにしなやかな動きで窓を乗り越えた。音も立てずに少年は屋根の上に着地した。そして、用心深くあたりを見渡してから、少女に降りてくるように促した。
「ジタン!」
「ほら、ガーネットも。絶対受け止めるから」
まったくあくびれる様子もない彼に呆れながら、少女も窓枠から彼の腕へ飛び降りた。
初夏の暑い日差しが輝くリンドブルム。
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今日はアレクサンドリアとリンドブルム両国の友好関係を深めるために、アレクサンドリア女王が訪れている。女王は、弱冠17歳にして霧の大陸でも大きな領土を治め、そしてアレクサンドリア一の美姫と謳われる、まさに才色兼備の陛下である。癖のない真直ぐな黒髪に、同色の綺麗な瞳、そして、なによりも国の人々を大切とする姿勢は多くの諸国民からも支持されているのだ。
当然、女王の訪問を多くの人々が喜んでいたのは言うまでもないが、中でもこの少年はとくに女王陛下を待っていた。
「シド大公、今日だけ早め切り上げないか?あいつも待っているしさ」
鮮やかな明るい金色の髪と同色のしっぽが、彼の気持ちをそのまま代弁するかのように慌しく揺れ動いている。
「その愛しのお姫様のためなのだろう?早くアレクサンドリアに帰るためにも、今も勉強しておくがよいだろ」
日頃、なにかとジタンに勝てない――例えばエーコの中でジタンが1番お父さんは2番など――シド大公はここぞとばかりに反撃を開始していた。
「普段だったらそうするさ。けど、久しぶりにあいつの顔が見れるんだから」
「この書類が全部読めたらのう」
「…そのうち馬にけられて死ぬぞ」
数時間後、アレクサンドリアの飛空船が大きな風をおこしながらリンドブルムに降りたつ。出迎えたのは、大公夫妻と公女であった。
扉が開くとほぼ同時に、夫妻の愛娘であるエーコはガーネットに抱きついた。
「ダガー久しぶり!」
子供らしい、とても元気のいい笑顔で笑いかけてくる。すこし長くなった紫色の鮮やかな髪に、冒険中から身に着けていた大きめの黄色いリボン、柔らかなピンクの生地のドレス…。
「久しぶりね、エーコ。そのドレスよく似合っているわ」
「本当!?エーコもお気に入りのなんだ」
そう言うと、くるりとその場で一回転してガーネットの方を向いてきた。
「ガーネットにあったら見せてあげたいと思っていたものがあるの!頑張って庭園に綺麗なお花咲かせたのよ。一緒に来て、ね?」
そして、ガーネットの手をとりあいさつもままならぬまま慌しく庭園の方へと向かったのだ。
シド大公夫妻は微笑しながら、微笑ましい二人の姿を見ていたのだとか…。
そんな和やかな雰囲気とは裏腹にここでは苦々しい(?)空気が流れていた。
いつもは過ごしやすく感じる勉強用の個室も、今日はまるで牢獄のように思った。
「はぁ〜、今頃ガーネット何してるんだろう?だいたいさ、大公も人が悪いよなぁ。あ〜んな可愛い恋人、ほおっておけるはずないだろ?」
一人部屋にこもらされてしまった人間には、一刻一刻と時をつげる針も心なしかいつもより遅く感じている。それが、またむなしさをさそう。
そういえば、3時からお茶会があるって言っていたな。…行きたくねェ。ヒルダ王妃の料理はおいしいけどさ、エーコの料理たまに変なものが入ってるんだもんなぁ。前にでたパイなんて、ブリ虫なんて入っていたし、それをポーカーフェイスで顔にも出さず、美味そうに食べてる大公夫妻なんてすごすぎだよ。オレなんて、食べるの拒否したら、あとでエーコにずいぶん言われたしさ。そういえば、冒険しているときにもブリ虫入りのシチューがでたんだったかな。あのときは、ビビもガーネットも固まっていたよな。
ガーネットか、はぁ。いくらなんでも、久しぶりのガーネットに会わせないなんて大公も意地悪だよな、そうもう一度ぼやくと、勢いをつけて立ち上がり窓辺へと近寄った。
窓のそばには、大木のポプラが青々とした葉を茂らせている。まるで、登れとでもいうかのように太目の枝が窓へと伸びていた。
「女王様もお疲れでしょうから、少しお掛けになってお休みになられると良いですよ」
にっこりと笑いかけてくれる、ベアトリクス。こういった心遣いが、執務で疲れてしまうときにとても温かく感じる。もっとも、今日は執務疲れというわけではなく遊び疲れではあるが…。
「ありがとう」
そういって、手近な椅子に腰を下ろした。まだここへ来てから数時間としないのに、ずいぶんたくさんのことを見てまわったのだ。エーコは本当の両親のようにシド夫妻と馴染んでいたのだった。それは、とっても嬉しいことだと思うけれど、エーコに手をひかれ城中を走ったのは少し疲れてしまったようだ。エーコがおば様と一緒に育た花々や、おじ様と一緒に設計図を考えてつくり始めた飛行船。リンドブルム城でのエーコのお気に入りの景色の綺麗な場所や、両親と一緒に考えたり配置したりして造りだした庭園など、たくさんの見せてもらったのだ。そのときに見せるエーコの笑顔は、6歳相応の小さな女の子の笑みだった。
「この後は3時からお茶会がおありだそうです。エーコ様がヒルダ様とお菓子を作られるそうですね」
「おば様はお菓子作りがお得意なのよ。私も教えて頂いたけれど、おば様ほど上手にはできなかったわ。どんなものができるのか楽しみね」
目に浮かぶ情景につい微笑んでしまう。
「30分ほどありますが、お部屋でお休みになられますか?」
「少し疲れてしまったから、そうするわ」
「では、ドアの方で控えておりますから、何か御用がおありでしたら仰せください。失礼します」
少し風にでもあたろうかと思って窓を開いたときだった。さわやかな風とともに金色の風が紛れ込んできた。
「ジタン?」
「久しぶりっ、ガーネット!」
気がつくと、あっという間に彼に抱きすくめられていて、なぜだかそれが気恥ずかしかった。つい逃げ出そうとすると、腕に力を入れられてしまった。
「ちょっ…ねぇ、ジタン?」
髪をかすめる唇の感覚が感じられて、顔が赤くなるが自分でも分かる。
「会いたかった」
結局、このままの状態でしばらくぶりの再会を過ごすこととなった。
最近のアレクサンドリアやリンドブルムの状態やタンタラスの仲間達にいたるまでたくさんの話をした。他愛ない話でも、ただ、そこに彼が居て、声がきけるだけで、嬉しかった。
ふと、私とジタンが今年一度も海に行っていない話になってくると、突然彼が言い出した。
「今から海に行こう」
「今から?だって、お茶会もあるし…」
「ガーネットは明日で帰るんだろ?そうしたら、今日しか時間がないじゃないか。それに、こんなに可愛い子の水着姿が見られないなんて、絶対罪だぞ!」
力説明するジタンは、この様子だと絶対本気だ。
「でも、私そんなに泳ぎ上手ではないし…。水着だってもって着てないし、ね」
「ダイジョーブ。泳ぎなら教えてあげるし、水着もどこかで買えばいいしさ。行こう!それじゃぁ、お姫様。今から貴方を誘拐させていただきます」
こうして、窓から飛び降りるという大冒険をするはめになってしまったのだ。
崖下には広がっていた砂浜には、多くの人が集まっていた。小さな子供を連れた若い夫婦や恋人、子供達だけの集まり。楽しそうな声が聞こえてくる。しかし、ジタンはそこへは向かわず、浜辺とは反対へと足を向ける。
「どこへ行くの、海は向こうじゃないの?」
「秘密の場所。だって、どうせ普通の海岸じゃ人いっぱいだよ」
そういう彼に手をひかれ、家と家の間の小道を通り抜けていく。その小道は大人一人がやっと通り抜けられるような細さだが、彼はにぎった手を離してくれない。かたく結んでくる彼の力強さに、なんだか、気恥ずかしくて…きっと、私の顔は真っ赤なのだろう。
塩のさわやかな香りを含んだ風が頬をなぜていった。それが気持ちよく大きくその空気を吸い込んだ。
「プライベートビーチに到着っ!」
彼は私の一番大好きな、あの屈託のない小さな子供のような笑顔で笑いかけてきた。大人になっても変わらない彼の笑顔に、つい笑みがこぼれる。
一年の歳月をえて会った彼は、別れたときから比べると大人っぽくなっていたと思っていた。
あのときよりも高くなった目線、あのときよりも低くなった声、あのときから止まっていた彼の姿が急に変わってしまって、どこか寂しいとすら感じたこともあった。この変わってしまった分の時間だけ一緒にいられなかったことが…。でも、どれだけ大人になっても変わらない彼の笑顔が嬉しかった。
「すごく綺麗だね」
そう言って周りを見回した。
そこは、切り立った岩々に囲まれた一角のようだ。灰色の大きな巨石の間に真っ白な砂浜が映える。そして、その向こうに輝く、明るく深い青色の海と、うっすらと雲が浮かぶ晴天の空。
普通のビーチなら人がいっぱいなのだろうが、ここは穴場らしく誰一人そこにはいなかった。
「小さい頃よくリンドブルム中を遊びまわったんだ。ある日、上の崖で遊んでいたら、足滑らせて落ちてさ、足くじいたんだけど、そのとき見つけたのがここなんだ」
「ジタンは子供のときからいつも危ないことばかりしていたのね」
「そんなに危ないことばかりしていたわけじゃないよ。でも、そのときはオレ一人でそこにいたから誰にもみつけてもらえなくて、足は痛いし、暗くなってさびしくて、そんなとき…ボスが来てくれたんだ」
「パグーさんは優しいお父さんだったんだね」
「どこが!その後ぼこぼこにされたよ」
すねた感じで嘆くしぐさが、どこか小さな子供を思わせる。そのどこか幼く見える表情が可愛かった。
「それよりさ、ガーネットの水着姿はやく見たいんだけど」
「ど、どうしてそんなこと言うの!」
「さっき、どんなの買ったのかも見せてくれなかっただろう?それに服で泳ぐつもりじゃないだろ?」
しぶしぶ、水着姿になることに…。
どんな水着着てくるんだろう?
いろんな想像が頭をよぎる。こんなことがガーネットに知れたら、きっと顔を真っ赤にして怒るんだろな。でも、怒った姿も可愛いんだよなぁ。手、つないでるときとか妙に照れていたり、それでも手を離すとおずおずとまた手をつないでくる姿なんて、もう可愛すぎるんだよな。いつもおっとりとしていて、少し世間知らずで、おもわず守ってあげたくなるのに、芯が強くて、一人で頑張ろうとする姿なんて、ホント可愛いよな〜。
「ジタン…」
恥ずかしそな、照れた感じの声が聞こえて振り向くと、そこには顔を伏せながら立つガーネットの姿があった。
ガーネットによく似合う白色のワンピース型の水着に、淡いピンクの上着を着込んだ姿であった。残念なことに、上着はボタンまできっちりと止められていて露出度は低いが、足がいつものドレスから比べるとかなり出ていて、なんだが…気恥ずかしいというか、う〜ん。
とりあえず、ここにいるのが自分だけでよかったと心から思った。他の男なんかには絶対見せたくないからなぁ。
ブーツを脱いで、そっと足を海にいれてみると、少し冷たいけれど、それも新鮮な感じがして気持ちよかった。
そのまま、膝がつかるあたりまで歩いていった。蒼い澄みきった海は、歩くたびに砂が舞う。でも、少し淡い白色になる色の変化が楽しめて綺麗だった。
「ガーネット」
呼びかけられて振り向くと、冷たい水をばしゃりとかけられた。
「何するの!」
本気で怒ったわけでなくて、できるかぎりのしかめっ面をつくったというのに、ジタンはにこにこと笑うばっかり。こうなったら、私だって…
「冷たッ、ガーネット!」
こうして、ジタンとガーネットの水かけ大会が開かれたのだった。
もちろん、大会終了後に2人がずぶぬれだったのは言うまでもないだろう。しかも、タオルを忘れてしまっていたためそのまま帰るはめに…。
帰ってきたときの2人の姿を見て、女将軍は小さくため息を漏らしたという。そして、ばつが悪そうにしゅんとしたお姫様を守るように、少年が彼女の肩を引き寄せて一言。オレが彼女を誘拐した。
てっきり怒られるかと思っていたのに、女将軍からの言葉は意外なものだった。
楽しんでこられましたか、とそれは立場上の言葉ではなく、まるで年上のお姉さんが幼い妹達に話かけるように穏やか尋ねてきたのだ。
とっても、と嬉しそうに答える若き君主を見つめながら女将軍も微笑んだのだという。
しかし、最後に一言ジタンに悪魔のお誘いが伝えられた。
エーコ嬢がお呼びですよ、と。もちろんその後ジタンがエーコにさんざん文句を言われたのは言うまでもない。
結局、後日アレクサンドリアのお姫様は風邪をひいてしまったということです。
そんなお姫様を看病する付添い人の中には、猫のような少年も居たといいます。その少年のしっぽは、申し訳がないというように、頼りなさげにゆらゆらと揺れていたとか…。
またもや逃げが入りました…。ジタガネ、ラストはもう周りの見えないカップルですね。迷惑な。それにしても、時期はずれ…夏に読めば気にならないか、うん。
「二人で海に遊びに行ってガーネットの水着姿に照れるジタンが見たい」とのことでしたが、このあたりでごめんなさい。
リクエストして下さった社長さんのみ、文章の転送はご自由に。でも、壁紙、アイコン、音楽は素材屋さんのものです。(2003.1.16)