うたかた
────……おれは故郷を知らない。
4歳でバクーに拾われ、それからずっとタンタラスで生きてきた。
もちろん自分の親がどんな人物なのか、故郷がどこにあるのか、自分に関することは何も知らない。
唯一記憶にあるのが青い光。それだけが、唯一故郷を見つける手がかりだった。
……少し前、それをたよりに故郷を探す旅にでたことがある。
記憶に残る青い光を探して、霧の大陸中を歩き回った。
初めてタンタラスを離れて一人で出た旅は、不安と孤独に包まれていた。
タンタラスの奴らと共に戦ったときには楽に勝てたモンスターが、いやに強敵に感じられた。
あの場所へ、バクーを始めとした陽気な奴らが集まるあの場所へ、帰ろう、と何度思ったことか。でも、戻らなかったのは、自分自身を知りたいという思い、そして、タンタラスのメンバーといる時でさえ不意に襲ってくる、猛烈な孤独感のせいだった。
どんなに奴らと明るく笑いあっていても、騒いでいても、ふとしたとき、例えば……飲もうとしたコップの水に映った自身の姿をふと見たとき。
金の髪と青い瞳がこちらをのぞきこんでいるのを見ていると、なぜか、自分はどこからきて、どこへ行こうとしているのか、そんなことを考えてしまうことが、ある。
この青い瞳はどこの誰からもらったものなのだろうか。この金色の髪は誰から受け継いだものなのだろうか。なぜ、どんな思いで、俺をリンドブルムに置き去りにしたのだろうか……。
そんな時は決まって背中から抱きつくように、孤独という影が襲い掛かってくる。
『……おぬしも強情じゃの』
そう溜息まじりにいったのは、旅の途中で出会ったある女だった。
行方不明の恋人を探しているという彼女と、あてもなく故郷を探すたびをしている自分は、妙に気があった。ふたりともあてのないもの同士、少しの期間共に旅をした。
彼女は、初めて己の心の内を看破した人間だった。
『孤独も吐き出せば少しは軽くなろうに……』
『……孤独?こーんな美女と一緒にいて、そんなもの感じることはないぜ?』
あくまでおどけた態度を崩さないこちらに対して、相手は弟を心配する姉のような顔つきだった。
『お調子者の仮面をつけ……おぬしは内に溜め込みすぎる。一見そうは見えぬがな。このままではたとえおぬしの故郷を見つけられたところで、その孤独が埋まるとは私は思えぬ。暗闇の洞窟の中で、さらに迷いつづけるであろうよ』
おぬしが心配じゃ、と女は呟いた。
『大勢でなくてよい……たった一人でよいのじゃ。己の全てを曝け出すことができて、それを受け止めてくれる誰かを探せ。そうせねば、暗闇の洞窟を抜けられず、いつかきっとおぬしには限界がくるであろうよ。……孤独をよく知る私だからこそ、言うのじゃ』
『はは……いるのかよ、そんな奴』
渇いた笑いが洩れる。自分でも予想しなかったものだ。
『わからん……。だが、いると信じる他あるまい』
『……フライヤは、いるのか?そういう奴』
いる、と迷いなく応える声が耳に届く。
『いまいずこにおられるか……生きておられるのか、それすらも分からぬがな』
初夏の頃だった。窓の外はしとしとと雨が降り注ぎ、ときおり空から唸り声が聴こえた。
窓の外を見、目を細めた女の顔を、いまも覚えている。
───たった一人に焦がれ、追い求めるその瞳は、自分にはないものだったから。
眠りから覚め、ゆるゆると瞼を開けると部屋の中はすでに明るくなっていた。
「んー…………」
ふあぁぁぁ、と大きなあくびをし、眠気を外に搾り出すように大きく伸びをする。朝を告げる鳥の声が、窓の外から聴こえてきた。
「おはよう、ジタン」
柔らかな声が聴こえたかと思うと、その主はこちらを覗き込むようにして視界に入ってきた。
さらりと流れる黒髪に、雪のごとく真白な肌。黒曜石を思わせる瞳を縁取る長い睫毛に、優雅な動作。その少女は、一度見たら忘れられないほどの美しさを纏っていた。
一瞬その少女の名前が記憶から出てこなくて、ジタンはぼうっとその顔を見つめてしまった。やれやれ、まだねぼけているらしい。
「おはよう、ダガー……早いな」
端整な顔立ちを惜しげもなく曝す彼女はジタンよりも先に起き、すでに仕度をすませているらしかった。ベッドに横たわったまま、彼女を見上げながらジタンは話し掛ける。
「よく眠れたか?」
「……ええ。おかげさまで」
「そりゃよかった。んじゃ、お礼に目覚めのキスでも……」
言いながら伸ばしかけた手は、ばしん!と勢いよく振り払われた。
「先に村の出口に行っています」
語気荒くそう返した後、ダガーは身を翻し、すたすたと部屋から出て行ってしまう。残されたジタンは、払われた手で頭を掻き、苦笑した。起き上がってダガーが出て行った出入り口のほうを見ると、カウンターで何事?という表情をしている黒魔道士の姿が見える。
ここは、自我に目覚めクジャやブラネの手から逃れた黒魔道士兵たちがつくった村。クジャを追いかけて外側の大陸に来たジタンたちは立ち寄ったコンデヤ・パタという村で、黒魔道士兵を目撃した。逃げる黒魔道士兵を追ってたどり着いた先が、この村である。
「ふあぁぁぁ……。さてと、おれも仕度を整えるかな」
もう一度大きく伸びをして眠気を搾り出し、ジタンはベッドからおりた。
外に出て、川の冷たい水で顔を洗っていると、ふと先ほどのダガーの表情を思い出して、苦笑した。
……やっぱ、話すんじゃなかった、かな……
目覚めたジタンに向けられたダガーの表情には、戸惑いが浮き出ていた。
どう接したら良いかわからない、そういう顔だった。
それを感じたから、……あんな、おちゃらけた態度に出てしまったわけだが。
流れる水に映った自分の顔を、ジタンは見下ろした。
……理由は、わかる。
昨夜、自らの境遇を、ダガーに語って聞かせた。
故郷を、親を、知らないと、物心がつく前に捨てられたのだと。そうして故郷を探す旅に出、『いつかかえるところ』を見つけるに至ったと、語った。
だからだ。
やさしい彼女は、きっと自分の境遇に同情を抱いているはずだ。──そんなもの、要らないというのに。
同情が欲しいんじゃない。かわいそうと思って欲しくなんかない。
そんなもの、くそ喰らえだ。
でも。
なら、どうして、自分は彼女に話したのだろう……
彼女はやさしいから、やさしすぎるから、話せば、自分に同情を抱くことぐらい簡単に想像がついていたはずだ。
そして、自分からそのことに触れたのは、昨日が初めてだと、遅まきながら気がついた。
どうして……
水面に映る顔を見下ろしたまま、しばし呆然と考え込む。
そして。
濡れた前髪から落ちた雫が、一滴、水面に波紋を立てて落ちた。同時に、自分の顔も掻き消える。
「……そんなこと、考えてもしょうがないか」
おれらしくもない、と苦笑して、頭を振って水滴を散らす。あとは、二度と水面を見ることもせずに立ち上がり、身を翻して部屋に戻った。
その後、黒魔道士たちからクジャの情報を仕入れると、四人は再びコンデヤ・パタへと引き返すこととなった。
「『聖地』ねぇ……」
もの悲しい森を進むなか、ジタンがぽつりと呟く。
あたりには昼間だというのにふくろうの鳴き声がこだましており、時折道の脇にある茂みからモンスターが飛び掛ってくることもあった。
「どんなところなんだろうね……?」
ところどころ地上にはみ出た木の根につまづきそうになりながら、ジタンの後にビビが続く。その後に、クイナが大きな体を揺らしながらついていく。
「おいしいもの、たくさんアルか?ワタシお腹がすいたアル」
「さぁ……どうなんだろう」
相も変わらず、食べ物のことしか頭にないクイナの問いにビビが答えた瞬間、それは起きた。
「うわぁっ」
飛び出た木の根に足をつまづかせ、ビビは派手にドサッと倒れた。
「おい、大丈夫か?ビビ」
「う……うん」
起き上がって衣服についた土を払い、麦藁帽子をきちんとかぶり直しながらビビは答える。 「ビビ、ケガはない?」
クイナの後ろを歩いていたダガーが側に寄り、心配そうに尋ねる。ビビは大きく、うんと頷いた。
「ねぇ、ジタン。少し休憩しましょ。村を出てからずっと歩き通しだし……」
ダガーの提案に、そうだな、とジタンが頷きかけたとき
「ジタン!あっちに小川がアルね!」
突然クイナが叫び、右の方を指し示した。
「川?」
こんな森の中に本当にあるのか?とジタンが疑わしげにクイナを見る。
クイナは大きく頷き、
「水の匂いがするアル!魚がいるかもしれないアルね!」
そう叫ぶと、指差した方へと走り出してしまった。
「お、おい、クイナ!」
ジタンが慌てて止める声も聴こえないのか、クイナの姿はすぐに森の中へと消えてしまう。
「ったくもう……。──ビビ、ダガー、追おう」
互いに頷きあい、ジタンを先頭にしてクイナの後を三人で追った。
完全にクイナの姿を見失い、追いかけるのも無理かと思われたが、背の低い茂みが幸いした。先を行くクイナが踏み倒して通った跡をたどることで、三人は迷うことなく後に続くことができたのだ。
少しの間「道」を進んで行くと、三人の耳にも水の流れる音が聴こえてきた。そしてさらに進むと、茂みを抜け、小川に行き当たった。
「うわぁ、本当に川だ」
ビビが歓声を上げる。ゆっくりとした流れを持つ小川は、綺麗に透き通っていてそれほど深くない水底がはっきりと見ることができた。
だが、あたりを見回してもクイナの姿は見当たらなかった。川沿いの、石ばかりでできているところを移動したらしく、すでにクイナが通った跡も見当たらない。
「クイナの奴、どこに行ったんだか……。ちょっと探してくる。ビビとダガーは、ここで待っててくれ」
そう言いおいて、ジタンはその場から離れた。
残されたビビは流れる小川を興味深そうに見つめ、ダガーはといえば、近くにちょうど良い切り株を見つけたのでそれにすわり、二人が戻ってくるのを待った。
そうしてしばらくたった頃、ビビは川の中で泳ぐ小さな魚を見つけた。銀色の魚が五・六匹で群れており、尾ひれをひらひらとさせて、じっとしている。
初めて見る種類の魚だったので、ビビはその魚たちをじっと観察してみた。
「なんで動かないんだろう……」
疑問に思い、首をかしげたとき、川の中の魚たちがいっせいに動いた。
「うわぁっ」
群れていた魚全てが同時に動き、上流の方へと目にも止まらぬ速さで移動する。その見事な速さに驚いて、ビビは思わず後ろへ跳んだ。
「ああ、びっくりした……」
帽子をかぶり直し、ビビは魚を追おうと、魚たちが逃げていった方へと行こうとした。 だが。
「うわあぁっ」
石につまずき、バランスを崩す。なすすべもなく、そのままビビはこけた。
バシャンッ!と水しぶきが上がる。
「ビビ!?」
それに気づいたダガーが急いで駆け寄った。
ダガーが側まで近寄った時には、すでにビビは体を起こし、自分の状態に半ば呆然としていた。浅い川とはいえ、派手に倒れてしまったせいか全身びしょぬれである。
「大丈夫!?」
「あ、うん……」
ダガーは手を貸してビビが川から上がるのを手伝った。
「服を乾かさなきゃ……火をおこしましょ!わたし、焚き木を拾ってくるわね。ちょっと待ってて」
すぐに戻るから、と言ってダガーは急いで駆け出した。
「あれ?ビビ、ダガーは?」
「なんで魚を追いかけて一緒に川を下るんだよおまえ」、「おっっきな魚がいたアルよジタン!」、「おまえなぁ……」、「魚は刺身が一番いいアルよ。栄養がそのまんま豊富にとれるアル」、「あ〜はいはいそうですか」……そんなやりとりをしながらジタンとクイナが戻ってきたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
「あ、ジタン……」
ビビの側に寄り、その格好を見るとジタンは眉をひそめた。
「どうしたんだ、ビビ。びしょぬれじゃないか」
「いや、その……」
「わかったアル!ビビも魚を捕ろうとして川に入ったアルな!?で、魚は捕れたアルか?」
「何があったんだ?」
「その、つまづいて、川に落ちて………」
「やっぱりアル!で、魚は捕れたアルか?どこにアルか?」
「なるほど。で、ダガーはどうしたんだ?」
「火を熾そうって、焚き木を拾いに……でも、もう行ってからずいぶん経ってるんだ」
「ビビ、独り占めはずるいアルよ!お腹をすかせている人にはきちんと食べ物を分けてあげるアル!」
「ちょっと……黙っていてくれ、クイナ……」
顔を片手で覆い、溜息を洩らすジタンは、続けてダガーがどっちの方へ行ったのかを尋ねた。
「あっちの方だよ」
そう言ってビビが指し示した方を見ると、ジタンの顔つきがさっと厳しくなった。
まずいな、と呟く声が、ビビには聴こえた。
「ちょっとビビ、ここで待ってろ。クイナも」
言うなり、ジタンはビビの示した方へ駆け出した。
あとには、きょとんとした表情のビビと、お腹すいたアル……としきりに呟くクイナのみが残された。
「ダガー!」
全速力で走りながら、ジタンはダガーの名を呼び、姿を探す。
嫌な予感がした。
ダガーが向かった方向は、先ほどジタンがクイナを探しに行ったのと同じ方向である。
先ほどクイナを探す途中で、ジタンはある場所を見つけた。それは、モンスター・ポイントと呼ばれる、いわゆるそこへ踏み込めば必ずモンスターが出現する特殊な場所だった。
「ダガー!どこだ!?」
あそこへ足を踏み入れていないといいが、そう思いながら、ジタンは必死にダガーを探した。
「出でよ、『ラムウ』!!」
詠唱と共に出現した強烈な雷に、ダガーを取り囲んでいたモンスターの何匹かがたまらず力尽き、その姿を砂へと変える。
どこからか次から次へと突然現れるモンスターを相手に、ダガーは孤軍奮闘していた。
どうやら焚き木を拾い集めている間に、モンスター・ポイントらしきところへ足を踏み入れてしまったらしい。
考え事をしていたせいで、そのことに気づくのが遅かった。ハッと気がついたときには、既に四方をモンスターに囲まれ、逃げる余地もない状態におかれていたのだ。
倒してもそこから逃げようと動いた瞬間に、次のモンスターが襲ってくる。その繰り返しだった。
先ほどから立て続けに召喚魔法を続けているせいで、マジックポイントが底をつきかけている。ダガーは焦りを感じた。
あと、二匹……!
じりじりと迫ってくるモンスターたちに負けじと、再びラケットを構えて詠唱に入る。
が、そのとき。
「!」
背後にいたモンスターの一匹が突如ダガーに襲い掛かってきた。気配で気づいたものの、詠唱に入り、無防備になった隙をつかれたダガーには、どうしようもない。反射的に目を閉じ、きたる衝撃に身を固くした。だが。
予想した痛みや衝撃は、いつまでたってもこなかった。それどころか、モンスターの断末魔のような叫び声、それと、ふぅー……という溜息が耳に届いてきた。
あれ?と思い、固く閉じていた目をそろそろと開けてみる。
まず初めに視界に飛び込んできた姿に、ダガーは目を丸くした。
長い武器を片手に携え、息を弾ませ、彼はこちらを見ていた。
ジタン、とダガーは彼の名を口にした。
「ジタン、どうしてここに……」
だが、ジタンは答えてくれなかった。その代わり、ダガーに手を伸ばす。そのまま、突然引き寄せられて、え?と思う間もなくダガーは危うくバランスを失いそうになる。そのままダガーは倒れこむようにしてジタンの胸に抱きとめられ、閉じ込められた。
「え?ちょ、ちょっと、ジタン?!」
突然のことに慌てるダガーの耳元で、ハァー……と大きな溜息が聞こえた。
「よかった………」
その囁きは、とても安堵に満ちたものだった。そして同時に、ジタンの体から張り詰めていた力が抜けるのが伝わってきた。
思わず、ダガーの鼓動がドクン、と飛び跳ねた。
ジタンが心配して自分のもとへ駆けつけてくれたのだと、わかる。
と、そのとき、ジタンの肩に鋭い痛みが走った。
「ぐっ……!」
「ジタン!」
ジタンを切りつけたキノコ型のモンスターは、ダガーの前方、ジタンの背後で、怒ったようにくるくると回転しながら宙を飛んでいた。
「こっ………の!」
ダガーを放し、武器を構えるとジタンは一閃のもとに敵を切り捨てる。キノコ型のモンスターは断末魔の悲鳴をあげ、その姿を砂へと変えた。
切り捨てたジタンは、それを見届け、「まったくもう、いいところだったっていうのに……」とぶつぶつ文句を呟く。
肩の傷口から、血が一筋腕を伝って流れ落ちた。痛みはそれほど感じないが、少し傷が深いようだ。
その傷口に、そっと触れる手があった。
振り向くと、ダガーが傷口に手を当て、癒しの呪文を小さく詠唱している。
まばゆい光がダガーの手から生まれ、ジタンを包んだ。
光がおさまり、ダガーがそっと手を離すと、そこにあった傷は完全に癒えていた。
「………助けてくれてありがとう、ジタン」
ぎこちない笑みを浮かべてダガーはジタンを見上げた。
────ああ……また、だ。
そう、その笑顔を見て、ジタンは思った。
ダガーは、戸惑っている。
親に捨てられたという過去をもつ、おれに。幸せに育った自分はどう接していいか、わからなくて。
「あの…あのね、ジタン。その、昨日の話のことなんだけれど……──」
「───あのな、ダガー」
ジタンはダガーの言葉を遮った。
「そんな辛気臭い顔するなって。おれは別にダガーに同情されたくてあんな話をしたわけじゃないんぜ?」
「…………」
「おれは、タンタラスの奴らと出会えてよかったと思ってる。タンタラスにいたからこそ、今こうしてダガーと一緒に旅をできているわけだし……」
ええと……ああもう、なんて言ったらいいのかな、とジタンは頭を掻いた。
「おれは、いまここにこうしていられることに、満足しているんだ。だから、親に捨てられて不幸だとか、そんなふうに安易に思って欲しくない。同情とかしたら、いくらダガーでも、怒るぞ?」
「…………ごめんなさい」
うつむき、素直にダガーは謝った。
そうして、束の間沈黙がおりた。
暗い雰囲気が取り巻きそうで、ジタンはわざと明るく
「ま、そこがダガーのいいところでもあるんだけどさっ」
と大きな声で言った。
「さ、早く焚き木を集めて戻ろうぜ。ビビが風邪をひいちまう」
うん、とダガーが頷いた。
二人で身をかがめ、そのあたりに落ちていた焚き木によさそうな枝を探す。
その途中で、ジタンがぽつりと呟いた。
「ダガーの『いつかかえるところ』って、やっぱりアレクサンドリア城なんだろうな」
枝を拾い上げる手を一瞬止め、ダガーは、「ええ、きっと、そうだわ」と答えた。
「帰れるかしら……無事に」
不安の入り混じった声音が聴こえた。
ダガーの母であるブラネをかどわかし、霧の大陸中を巻き込んだ戦争を引き起こした、いわば諸悪の根源とも呼べるクジャという男とこれから戦うのだ。不安がるのも無理ないだろう。
ジタンも手を止め、少し離れた位置にいるダガーと目を合わせた。
「安心しろ。おれがダガーを守ってやる。アレクサンドリア城に戻れるように、してやるから」
リンドブルムでもそう言っただろ?と、強気で言う。おれにまかせておけ、と。
ダガーは微笑み、ありがとう、と言った。
でも、とダガーは少し顔を曇らせ、付け加えた。
「……ジタンは無理をしすぎよ」
「え?」
「守ってくれるのは嬉しいけれど……ときどき心配になる」
二人合わせて充分な量になった焚き木を腕に抱え、ダガーは立ち上がった。つられて、ジタンも立ち上がる。
「なんだか……自分はいくら傷ついてもいい、って、そんなふうに自分を軽くみているような気がするの。いつも自分よりも、仲間を優先して………。昨日の話を聞いて、その理由も、なんとなくわかった気がする」
視線を落とし、ひとつひとつじっくりと言葉を選ぶようにダガーは語る。ジタンは、少し面食らった顔で、次の言葉を待っていた。
「それは決して悪いことじゃないと思う。素晴らしいことだとも思うの。でも……そんなに、ひとりでなにもかもを背負わなくても、いいと思うの」
ダガーが顔を上げて、こちらを見た。真摯な眼差しが、絡み合う。視線の先で、可憐な唇が、忘れないで、と言った。
「お願い、忘れないで。わたし……たちも、ジタンを大切に思っていることを」
ジタンは目を見開き、思わず、「え…」と洩らす。
『たち』、の部分が、まるで後から付け足されたように聴こえたのは、気のせいだったのだろうか。
「ダガー…」
だが疑問を口に乗せようとしたそのとき、ザァ……ッと一陣の風が二人の間を駆けた。
言葉を発しようとしたジタンだが、ダガーは口もとに笑みを浮かべると、くるりと回れ右をして歩き出す。
「ダガー!あの」
風がおさまり、ジタンが声をかけると、ダガーは半身を振り返らせた。
「早く戻りましょ。ビビが風邪をひいてしまうわ」
暖かい木漏れ日の中で、ふわりと髪をなびかせ、微笑んでダガーは言った。その頬が照れたように淡く染まっているように見えるのは、果たして陽光のせいだろうか。
『大勢でなくてよい……たった一人でよいのじゃ。己の全てを曝け出すことができて、それを受け止めてくれる誰かを探せ。』
昔聞いた、女性の声が甦った。
ダガーを探してこの森を走っている間、ずっと不安と焦りが心を満たしていた。
喪失への不安、そして、手遅れかもしれないという焦り。
彼女の無事な姿を見たとき、心に満ちた、安堵と愛しさ。
失えない、と思った。
彼女を。
───ああ、わかった。
彼女は、特別な存在なんだ────
今までのような軽い気持ち、仲間としての感情でなく。
己の過去を自然と話してしまえるほどの。
特別な、存在。
長い間ずっと、彷徨っていた。
暗闇の中、一人きりで。
ずっと探していた。
求めていた。
『誰か』を。
出口の見えなかった暗闇の洞窟に、一筋の光を見た気がした─────
ふっと眠りから覚め、ジタンは薄く目を開いた。
いまだ覚醒しきっていないせいか、ぼんやりと視界に入ってきた床を見つめ、ぱちぱちと二三度瞬きを繰り返した。
「ふあぁぁぁ……なんか、変なユメみてたな………」
呟かれる台詞を聞くものは、誰もいない。がらんとした部屋には、自分ひとりしかいなかった。
どうやら椅子に座って流れる外の風景を見ていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。不自然な格好で寝たせいで、首筋が痛くなっていた。
しかし、それにしてもおかしな夢をみていた気がする。どこか、森の中にいた。そして、誰かと旅をしていた気がする。……そうそう、その前には、フライヤが出てきたような気もする。懐かしいな、とジタンは思った。
けれど、ほとんど内容を思い出すことができなかった。
「うーん……。なんか……一人すんげーかわいい子がでてきたような気がするんだけどなぁ……」
綺麗な容姿をしていた、というのはわかるのだが、肝心の顔が靄がかかったようにまったく思い出せない。
まぁいいか、とあっけらかんに呟く。夢は所詮夢だ。
誰もいない静寂の中で、ドゥンドゥン……という音だけが聴こえてくる。この劇場艇・プリマビスタのエンジン音だった。
ひょいと窓の外を見て、いまどのあたりを飛んでいるのか確認する。はるか前方の方に、アレクサンドリア城のシンボルである巨大な剣が見えた。
「もうそろそろアレクサンドリアが近い……作戦会議の時間だな」
ジタンは知らずわくわくした。
バクーに事前に受けた説明によると、今回の目的はえらく大物だからだ。
「なんたって、アレクサンドリア始まって以来の美姫をかっさらおうってんだもんなぁ」
どんな子なのかなぁ、と想像した。
夢に出てきた子よりもかわいいのだろうか……。とは言っても、顔もよく覚えていないが。
「よっし、行くか」
軽く腕を回し、準備万端とばかりにジタンは部屋の扉を開けた────。
───運命は、すぐそこまできている。