「ったく、ウィンリィの奴どこにいったんだよ」
少年錬金術師の声が空しく響いた。
そこは東方司令部の正面玄関。人通りはいつもと変わらずそこそこで、石造りの道が伸びている。
ことの起こりは数分前にさかのぼる。
相変わらず賢者の石についての資料を探し続けていたエルリック兄弟はイーストシティにある東方司令部に訪れていた。先の旅で訪れた地でも、結局は賢者の石について何も見つからず、いったんイーストシティに戻ってきたのだ。どれだけ求めても手を伸ばしても、石はするりと彼らの手をすり抜けていく。伝説級の代物だからこそ簡単には手に入らない。分かってはいたけれど、やはり遣りきれない気持ちがあるのだ。
そして彼らは嫌味な上官ことマスタング大佐の下へ印をもらいに来ていたのだ。旅先の検問所で大佐の印があるかないかでは検問の楽さがずいぶん違うのだ。だが、執務室の持ち主は不在。波打つカーテンと、主のいない椅子だけが寂しく揺れていたのだ。給料ドロボウ、と少年錬金術師の声が空しく響いた。石の資料は見つからないし、大佐はいなくて印も貰えない。言いようのない気持ちを抱えながら、揺れるカーテンの先を見つめると、幼い頃の面影を宿したままの幼馴染の姿が。
気を利かしてくれた弟の計らいにより、エドワード一人で正面玄関に駆けつけたのだが、彼女の姿はないということだ。
もしかして見間違いだったか、と口の中でぼやきながら金髪の少年は憲兵の元に歩み寄ったのだ。憲兵はあまり顔を見たことがない人物だが、20代後半ほどの精悍な顔つきの男性だった。
「すみません。ここにウィン…長い金髪の人いませんでした。肩先以上の長い髪で、白色のワンピースを着ていて、背は…俺と同じぐらいで、目は…」
どういえばいいか悩みながら特徴を説明していると、憲兵が助け舟を出した。人好きのしそうな笑顔を浮かべると、穏やかな声で。
「あぁ、その人ならいましたよ。数分ほどまで間で」
「本当か、それでウィンリィは?」
「その人は…」
憲兵は途中で言葉を濁してから、形容しがたいような複雑な表情で言葉を紡いだ。
「その人は、先ほどマスタング大佐と一緒に街のほうへ出かけられました」
091.ごめんなさい
「この材質もいいな〜、強度は低いけどサビにくしい」
イーストシティのある一角。そこは他とは違った独特な雰囲気の路地にあった。ほんのりと香る油の匂いと金属音。ショーウィンドウに並べられた幾つも機械鎧。店主もそれを見る人も大抵は年季の入ったお年寄りだ。だからこそ、その中に10代中ごろほどの若い少女がいるのはとても目立っていた。その後ろで青色の軍服に身を包む整った顔立ちの男性もまた。普通の女性ならば宝石を見て喜ぶような、そんな晴れやかな笑顔を見せながら、少女は機械鎧を見つめていたのだ。
「それも買うのかい?」
目鼻立ちの整った黒髪の男性が尋ねた。ほんのりと微笑を見せながら。甘そうで優しい笑顔は何人もの女性を口説き続けてきたであろう経験が垣間見れた。だが、少女はそんな笑みに目をくれることもなくオートメイルに視線を送る。ある意味恋する乙女の視線だ。
「はい。あとは油を缶ごと買って…これで必要なものは終わりかな」
籠の中に入れられたものを見つめて、満足そうに少女がうなづいた。籠の中にはそれこそ数え切れないほどのものが詰まれていた。機械鎧に使うであろう鋼などの金属から工具まで幅広い。頭の高い位置でひとつに結ばれた長い髪が揺れた。ほんのりと甘い香りがする。油の匂いの中ではあまり目立たなかったが。
その言葉を聞くと後ろの男性はその籠を取り、店主に値段を尋ねた。そして買い取ると彼女に渡したのだった。
「…あの」
「かまわないよ。こんなにステキなお嬢さんとお知り合いになれたのだから。…そうだな、この後お茶にでも付き合ってもらえるかね」
荷物も持ってもらい、手ぶらになった少女は隣を歩く大佐なる人物を初めてしっかりと見た。先ほど買い上げたものはすべて彼が持ってくれたのだ。女性がこんな重いものを持たなくてもいい、と言ってだ。
確か、彼は焔の錬金術師というらしい。幼馴染なる少年が言っていた言葉をふと思い出した。アイツが鋼で、この人が焔か。と小さく口の中で繰り返す。同じ錬金術師とはいえこんなにも雰囲気が違うものなのだろうか。この人の凛とした空気からは確かに軍人という感じがした。黒コートの下に見える青色の軍服から感じる事もあるのだが。東方司令部の大佐で、国家錬金術師で、…人間兵器。この人は東部の内乱にも参加したのだという。どこかで両親を見かけていたのかもしれない。血に染まる両親の姿を。この人がそうするしかなかった様に、アイツも手を染めなくてはいけないことが来るのかもしれない。いつ召集されて人殺しとなるか分からない、国家錬金術師。この人はどうしてこの職業についたのだろうか。
頭の中でふと考えをめぐらせていた。顔つきが真剣になっていたのかもしれない。どうしたのかい、といった包み込むような優しげな笑顔でその人は尋ねてきた。なんでもないです、と小さく答えたのだった。
「君は…いや、ウィンリィは…何が好きだい。ケーキとかパフェとか」
「あ、なんでもいいです。嫌いなものもないので」
人の顔をじっくり見つめていたなんて失礼なことをしたな、と思いつつ人ごみの中を大佐の後をついて歩いていった。
「兄さん、少しは落ち着いてよ」
東方司令部の廊下に、少年にしては少し高めの声が響いた。
「どうして落ち着いていられるんだよ。相手はあの大佐なんだぞ。女ったらしのキザ野郎!いくらウィンリィとひとまわりぐらい年が離れていても、あいつなら手ェ出すに決まってるだろ」
言い争っているのは大きな鎧の人物と、金髪の少年だった。いや、言い争ってりウというより単に少年のほうが声をあげているだけなのだが。
「でも、ウィンリィだよ。機械鎧以外はあんまり興味がないから、大佐のこと眼中にないかもしれないじゃないか」
「ウィンリィが興味なくても、相手が大佐なんだぞ」
話にならない、と少年は言い放つと人ごみの行きかう街中へ飛び出していった。
そして、一人残された鎧の人物が小さく溜め息を漏らした。
ウィンリィが大切なのはよく分かるけど、回りのことも考えてほしいなぁ、と。
「美味しい」
「そうか、ここのパフェは美味しいと評判だったから来てみたんだよ。喜んでもらえて嬉しいね」
涼しげなガラスの器に盛られたパフェを口にする少女を見て、軍服に身を包む青年が微笑んだ。少女の前に置かれているのは、イチゴがたくさんのったパフェだった。ストロベリーソースと生クリームが重ねられたアイスクリームの上に、みずみずしいイチゴが天を仰いでいるのだ。そこに細く垂らされたキャラメルソースとチョコレートが味を、若々しい緑色のミントが彩を添えているのだった。
大佐は湯気と香りがほんのりとたつコーヒーに口付けながら、彼女に尋ねた。
「君と…エルリック兄弟はつき合いがながいのかい」
「つき合い、というよりも…小さい頃からずっと一緒にいたんで、居て当たり前な存在でした。…空気みたいな」
少女は手を止めて、目の前の青年を見据えながら言った。
「そうか、大変な友人を持ったね。いや、君にとっては兄弟みたいなものかな」
「兄弟…だったら良かったですね。私はずっと兄弟だと思っていたけど、二人とも何も言わずに石探しのこととか決めて…やっぱり兄弟にはなれなさそうです」
「連絡も何もくれないし、…たまには電話ぐらいかけてほしいのに」
話すごとにどんどん声が小さくなっいていく少女に、青年は優しく声をかけた。
「心配、かけたくないんだろうね」
「…勝手ですね」
少女は俯きながらぼやいた。
彼女がいくら彼ら兄弟のことを心配しても、電話のひとつもかけてはくれないのだ。甘える場所を断ち切ることで無理やりにでも前に進もうとしていることを傍で見てきた少女が分からないはずでもない。だけど、何にの連絡もない毎日は不安で覆われているのだ。そして、ある日会ってみればいつも傷だらけ。彼らがしようとしていることは半端なことではない。それは良く分かっているのだが、最悪の場合なども嫌でも考えつくのだから。
「でも、君は彼らにとってなくてはならない人物なんだろうね」
青年がカップを置いて、どこか穏やかな声で少女に語りかけた。
「人は一人では生きられないとは、よく言ったものだね。人というのは誰でも必ず支えが必要なんだ。…大人になってもね」
君達のひとまわりは違う私でもそうなのだから、と青年は付け加えた。
「彼らにとっての支えが君ではないのかな」
少女は青年の言葉を唇にのせる。
「支え、ですか?」
青年は軽く頷くと言葉を紡いだ。
「彼らは自分達の家を焼くことで、甘える場所を無くして旅立った。だけど、人はよりどころが必要なんだよ。どれだけ自分に厳しく努めていても、それが大きければ大きいだけ負担が多くなる。その反動で気丈に振舞えば振舞うほど壊れやすくもなるのだよ。そんなときに必要となるのは心のよりどころであり、支えだ」
ひとしきり言うと青年は優しく微笑した。
「彼らのことを大切にしてやりなさい。君自身が彼らのよりどころだよ」
少女は静かにその話を聞きいて、そして顔を上げた。それから、こう付け加えた。なんだかイメージが全然違いました、と。
「初めて大佐さんに会ったときは、あのマスタングっていう人は大切なエドとアルを奪っていくんだと思ってすごく嫌だった。だけど…すごくいい人だったんですね」
「光栄だね」
それから、少女は青年を盗み見ながら尋ねてみた。
「…心のよりどころ、大佐の場合は誰なんですか?」
彼は窓越しに空を仰ぎながらしばらく考え、そして言った。
「…難しいな。でも、私の場合は…妻と娘の自慢ばかりしてくる友人と、司令部でいつも隣に居てくれる私の大切なマネージャーさんかな」
そのときの青年はひどく優しい顔つきだった、と少女は後になっても思い出すことになる。それが、心底安心しきった表情だったのだと。
「さて、次はどこへ行こうか」
店をでると青年が少女に尋ねた。どこかイーストシティで見たい所があるのなら案内するから、と。
少女が答えようとしたそのとき、パンッと小気味のいい音が響いた。東方司令部の司令官を思いっきり蹴りつけた人物がいたのだ。しかし、呆気なく逆に青年に足を取られて掴まれているのだが。そして、青年が呆れた調子で言った。
「…出会って早々に蹴りをくれるとは。友人に対して冷たいな、鋼の」
青年が鋼のと呼ぶのは世界に1人しかない、そうエドワードだ。
彼は果敢にも自らの上官に蹴りを入れたのだが、虚しくも身長差というものによって青年に足を掴まれたまま宙づり状態になっている。じたばたと動くが、これで手を離されたほうが危ないのでは。しかし、彼はなんとか青年の手を振り切り、持ち前の身軽さで見事に着地した。そして、隣で呆けていた少女に駆け寄る。
「誰が友人だ。ウィンリィ、大丈夫か?」
前半は嫌味な上官へ、後半は大切な幼馴染に向けた言葉だ。
「なんで、エドがいるの。今はまた旅立ってイーストシティにはいないんじゃ…」
ひとまず少女の安全を確認して安心したらしい少年は振り返ると思いっきり青年をにらみつけた。そして、少年に出来る限りの皮肉な笑顔で青年に言い放った。もっとも、少年が認めたくはない身長差により下から見上げる感じになったためあまり迫力は出なかったが。
「これはこれは、雨の日は無能なマスタング大佐さん。三十路近くの無能大佐がひとまわりも年下の女に声をかけるのは犯罪なんじゃないのかな?」
「何を言う。お茶を一緒にしただけで犯罪になるのかね?」
大変な世界になったものだ。それだと、私は何百と犯罪を起こしていることになるではないか、と青年。
それから、少年は少女の方に向きかえった。
「ったく、ウィンリィもだ。よりによってこんな女たらしなんかについて行くなんて」
「でも、エドより親切だっ」
「こんな奴に話すな、近づくな、一緒に出歩くな。分かったか」
有無を言わさない幼馴染の雰囲気に圧倒された少女は小さく言った。
「分かった。…………ごめんなさい」
あとがき
鋼小説第7弾。
なんとなく大人でカッコイイ大佐を書きたかったのですが。うん?
ウィンリィのために焦るエドと余裕な大佐の構図が上手くいかなかった。
これ、エドウィンなんでしょうか。ロイウィン?
次の機会に頑張ると言うことで。。。(2004.02.15)