空から白い贈り物が舞い降りてくる季節が今年もまたやってきた。
街全体が魔法でもかけられたかのように独特な雰囲気に包まれる。
子供たちも、そして大人すらその幻想に取りつかれていくのだ。
盲目的に恋焦がれる人のように、一時その夢の世界へ誰もが足を踏み入れる。
誰の心にも夢をもたらす日が小さくドアを叩いた。
069.クリスマス
「なぜクリスマスイブだというのに残業があるのかね?」
言うまでもないだろうが、ここは書類が年中たまった東方司令部の執務室。頑丈な木作りの机の上には山積みにされた書類が置かれていた。いつも書類がたくさん重ねられている机だが、今日は更にも増して量が多い。半端なものではないのだ。もうこれ以上置けないというほどに積まれているのだから。
「仕事がたまっているというのに脱走されたのはどこの誰でしたかね、マスタング大佐」
そして、しれっとした口調で大佐をたしなめるのが我らが大佐の敏腕マネージャーことホークアイ中尉。声色も変えずに淡々と言う中尉に大佐は言葉が紡げない。それでも言葉をひねり出す。
「でも、今日はクリスマスイブなのだか…」
「クリスマスも何もありません。期限は明日です」
焔の錬金術師はふと筆を止め、頬杖を突いてから大きく息をついた。
「クリスマスはさすがに全員相手にできないからなぁ。そのために何度か仕事を抜けて御婦人方とデートしていたのに。…肝心なクリスマスが」
「口を動かす暇があるなら仕事してください。次はこの強盗事件の書類です」
事務的に繰り返される動作をしながら、中尉から大佐は別の書類を受け取った。そして、もう一度机の上の書類たちに視線を送る。
「…これらすべてが今日中かね?」
どう数えてもかなり書類だ。書類の束が所狭しと6つも並べられている。どれも目先ほどまであるのだ。
「はい、すべてです。明日の9時までにセントラルに送らないといけません」
「…どれぐらいで終わると思うか、中尉」
中尉は手に持った書類から目を離すと、書類の束を一瞥した。
「普段ならば6時間ほどですね」
大佐が時計を盗み見ると、短い針は7を、長い針は12を指していた。
「…真夜中の1時か。日付も変わって、25日か」
「そうですね。…続けてください」
中尉は喋りながらも手を動かしテキパキと書類を茶色の封筒に詰めていた。仕事の多さのためやる気をなくしかけた大佐は、一度書類をにらみつけてから中尉を見た。そして、経験の豊かさを現すような甘く優しげな表情を作りながら話しかけた。
「………中尉、今日はあいているかい?」
「大佐の仕事が終わらなければ、帰れませんがね」
「分かった、2時間だ」
焔の錬金術師は言い切った。
中尉が怪訝そうな顔つきで聞き返す。
「はい?」
「全部、2時間で終わらせる」
「3分の1、ですか。本気で?」
「私は一度決めたら実行する。中尉は先に自宅に帰って待っていてくれ」
相変わらず自分の言いたい事だけを言うと、大佐は書類をにらみつけた。そして、筆を執り黙々と動かし始めたのだった。一瞬呆けていた中尉だが、今聞いた言葉を頭の中でめぐらせた。そして、せっかくやる気が出た大佐を邪魔しないように尋ねた。
「…私が何を待つのですか?」
「食事を予約しているんだ。あとで迎えに行く。十分めかしこんでおくように。…できれば君の髪を下ろした姿が見たい」
傍若無人なまでに勝手に話を進める大佐は、また仕事に取りかかった。どうやら本気らしい。どうせならば、いつもこの調子でいてくれればと願った。そして、中尉はぽつりとつぶやいた。
「……なぜ私が」
きちんと聞こえていた大佐は、人好きのするような晴れやかな笑みを浮かべながら言った。
「命令ならきいてくれるかな?」
全く聞いて呆れる上司だ。
そう、人知れずぼやいたのは、自宅でのこと。その呟きを聞いたのは愛犬だけであった。そして、その愛犬も一応クリスマスということで普段とは一味変わったご飯を口にしていた。それも食べ終わり、口の周りをぺろりと舐めていた。そして、つぶらな瞳でこちらを見上げてきた。柔らかな毛を撫ぜてあげながら、ぼんやりと考えた。
本当にあの傍若無人な大佐は何を考えているのか、と。
めかしこんでおけと言われたが、この際軍服で向かってみようか。確かに軍服は正装だが、明らかに落胆する彼の顔が目に浮かぶ。絶対、嬉々として待っているには違いないからだ。
いつまでもこうして愛犬に向かいあっているわけにはいかず、ワードローブへと歩いていった。彼の言う通りにするのはあまり乗り気はしなかったがダークブラックのイブニングドレスを手に取った。そして、仕方なしに髪留めを外した。単に動くのに邪魔なのでまとめているだけなのだが。
足元に寄りそってきた愛犬が小さく鳴いた。しゃがみこんで頭を撫ぜると、小さな子供に話しかけるように言った。
「ごめんなさいね、一緒に過ごそうと思っていたんだけど。…大きな犬のほうがワガママだから」
外から一度だけクラクションの音がした。カーテンを脇に寄せて、外を見ると一台の車が止まっていた。乗り手が誰なのかは嫌でも分かる。
時計に目を送ると、時間は丁度9時だった。本当にやるといったらその通りにする人だ。普段からこのようだと、とても助かるというのに。コートを羽織り玄関先へ行くと、後ろから愛犬がついてきた。頭を撫ぜると、嬉しそうに一鳴きしてその場に座ったのだった。いってきます、と言ってから外へ出た。
真っ白な息がこぼれるほど外はとても寒く、いつの間にか空からの来訪者がちらつき始めていた。滑らないように気をつけながら道路まで出るとあの車に歩み寄った。
車の側に立っていた彼に声をかける。
「時間通りですね、大佐」
「時間厳守、女性を待たせるなんてことはしてはいけないからね」
仕事の方も同じようにしてほしいです、と言うと彼は苦笑いした。
「ところで、本当にあの書類をすべて終わらせましたか」
「もちろんだよ。終わっていないと、君にデートしてもらえないからね」
「デートだったらお断りしますよ」
手厳しいな、と嘆く彼によって車のドアが開けられ助手席に乗り込んだ。
街中は一種の独特な雰囲気に包まれていた。
行きかう人々誰もが笑みを浮かべて、幸せそうに両親の手を握っていたり、恋人の肩に寄り添っていた。ただ、クリスマスという日が来るだけでここまで幸せになれるとは、不思議なものだと思った。たくさんある日の中でたまたまクリスマスと名づけられた日に誰もが喜びの声を上げる。もっとも、自分もまた同じようにその日の中に溶け込んでいるのだが。
「ご馳走様でした、美味しかったです」
店から出ると上司にそう告げた。
本当にお世辞などではなく美味しかったのだ。店内は上品で華美な雰囲気であったがどこかあたたかい、そんな感じのする店であった。席も予約でしか座れないらしい、店内にの奥にある席であった。全面ガラスにされていたためクリスマスの街が一望できたのである。そこへ雪も加わり、イルミネーションの光を更にも増して輝かせていたのだ。運ばれてきた料理もまた見た目も味もよく、鮮やかな外見に深い美味しさが加わっていた。本当にいい店だと思った。
「それは、良かった。あそこの店はなじみのところなんだ。君も気に入ってくれて嬉しいよ。また一緒に行ってくれるかな?」
「ご返答しかねますね」
「相変わらずつれないな。…まぁ、欲は言わないでおくか」
苦笑いにしながら彼は車とは反対方向へ足を向けていた。怪訝に思い、足を止めて尋ねた。
「どちらへ?」
すると、彼も立ち止まり、そして半ば無理やり手をつないだのだった。
「もう少し付き合ってくれてもよくないかな」
行き先は着いてからのお楽しみで、目は伏せておいて欲しいな。そう自分の言いたい事だけ言い切ると、彼は返事も待たずに手を引いて歩き出したのだった。
不自然な形でつながれた手は、それでも確かにぬくもりを伝えてくれた。指先から伝わってくるほんのりとしたあたたかさに包まれながら、しばらく人ごみの中を歩き続けた。
ほら、と声をかけられ見上げると大きなクリスマスツリーが視界一面に広がった。常緑の葉をしげらせたモミの木は綺麗に飾り付けられていた。小さなプレゼントや、かさを大きく広げた松の実、赤と白でつくられた蝋燭、雪を通し鮮やかに光り輝く。
単なるクリスマス、などと称していたのだけどそれはとても綺麗でしばらくの間見惚れていたのだった。
「やっぱり見ておくべきだね、クリスマスツリーは」
彼が満足そうな笑みを浮かべて話しかけてきた。あどけなく話すその姿は、プレゼントを待ち望む子供たちと大差がなくて。
「…楽しいかい?」
「はい、とても」
それは素直な気持ちだった。
やっぱりときには楽しむことも大切なのだなと。
「メリークリスマス」
彼はそういうと、細長い包みを握らせた。
長方体の箱で、白地に赤色のリボンが結ばれていた。その箱と大佐とを何度か見つめると、彼が言った。
「焔のサンタクロースから、親愛なる中尉殿へ。…開けて欲しいな」
言われるがままに包みを開いた。赤いリボンを解きほぐして、白色の箱を開ける。すると、中には雪の結晶を模ったような淡いブルーの宝石がついたネックレスが入っていたのだ。
「迷ったんだ、何にすればいいか。指輪は射撃の邪魔になるだろうし、できるだけ普段からずっと身につけていて欲しかったから。でも、これなら服の下にでも隠せるからね。付けてあげるよ」
そういうと、箱から取り出して彼は後ろへとまわっていった。首筋にかかる吐息のぬくもりを感じながら、彼がつけ終わるのを待った。それから、小さく言葉にした。
「…ありがとうございます」
多少うつむきながらお礼を述べた、そのときだった。右頬に柔らかな感触が残ったのだった。かすめる程度に、軽く。それはほんの少しの温かさと、甘美なまでの想いを残していった。顔を上げると酷く甘い優しげな笑みが広がっていた。反面、どこか子供らしさを忍ばせるような表情でもあったが。いずれにしても、してやったり、といった満足げな表情だった。…ここでなびくなんて絶対に嫌だ、と心底思った。それから、大佐に視線を向けたまま、いつもと変わらない仕事用の淡々とした表情を作り言ってやった。
「…明日の仕事、覚悟してくださいよ」
あとがき。
来年はクリスマス企画しよう、と心に決めた昨年。
ジャンルは違うけれど、書ききれましたクリスマス小説。
言うまでもなく、鋼さんの中では一番甘くなりました。
文句は受け付けていません。
学校の終業式終わってから家に帰って急いで仕上げたんです。
時間がなくて食事のシーンも省いたので後半の書きようが少なかったです。
クリスマス小説だからフリーにとかも思ったんですけど、あまりの仕上がり具合の悪さに。。。
頑張って大佐さんをかっこよくしようと思ったのですが…次の機会に頑張りたいです。(2003.12.24)