何十にも並び続ける文字を目で追いながら、ふと目の前の人物に視線を向けた。
この部屋の主であり、この書類の製作者である。
その人物は筆を握りながら書類と格闘していた。しかし、やる気がないのは一目瞭然だ。明らかにお目付け役である私に監視されて、嫌々筆をとっているに違いない。
なぜこんなにも違うのだろうか。
ふと唇まででかかった言葉を飲み込んだ。大佐は、気がついていない。ながながと並ぶ報告書を天敵でも見るかのように視線をすべらせていた。
大佐というのは相当な実力がないとなることは難しい。ましてや、20代では尚更のこと。それを成し遂げる時点でこの人物がどれほどがまでにすごい人物かは分かる。だが、この日その光景を目の当たりにした。
大佐の護衛兼ねお目付け役としてセントラルへ向かったときのことだった。セントラルで行われていた凶悪事件を東方司令部の大佐である彼が解き明かしたため、大総統に栄誉のお言葉を承りにいくのだった。
若くして大佐の地位へのぼりつめた彼には当然風当たりも厳しい。上官たちにしてみれば、いつこの若造と自分の地位が取って代わるかもしれないと疎ましいのだ。しかし、敵ばかりいるようなセントラルでも彼はにこやかにすべてを軽くこなしていったのだ。皮肉をしにかかる上官すら軽く受け流し、余裕すら感じさせる不敵な笑みを浮かべて。臆することのない、堂々たる振る舞いは尊敬に十分値するものだった。
そして、彼が目指すポストなる大総統より光栄なお言葉を有難く頂き、その日のうちに東方司令部に戻ってきて今に至るのだ。
出張があったからといっても仕事は減らない。帰ってすぐに、大佐はまた仕事に囲まれたのだった。
セントラルで見せられた堂々たる大佐には賛嘆を与えたいほどだったが、今の大佐はずいぶん様変わりしている。あの凛々しさはどこかへ消え去り、嫌そうに書類の束を見つめているのだ。そして、積み上げられた書類の下のほうから抜き出そうとしている。
一体、どちらが本当の彼なのだろうか。
同一人物であってもここまで違うものなのかと、心の中で小さくつぶやいた。
060.大 人
「どうされました、大佐?」
ふと、大佐の視線に気がつき声をかける。筆を置き、ひじをついて両手を組みながら、そこにアゴをのせている。彼の癖だ。一体、何をたくらんでいるのだろうか。
そして、彼は唐突にしゃべりだした。嫌だ、と。
何を言い出すのだろうか、これだけでは何も分からない。
彼は目を閉じて、少しばかりうつむいた。さらりと、窓辺から射し込む月光に照らされた黒髪が揺れた。そして、もう一度目を開くと真顔で言葉を紡いだのだ。
「大佐ではなくロイがいい」
この人は一体何を考えているのだろうか。怪訝そうに大佐をみていると、先ほどよりも強い声で彼は言った。
「なぜ位で名を呼ぶのかね、ホークアイ中尉。いや…リザ」
「…上官には敬意をこめた呼び方をするように規則にはあります。しかし、名前で呼ぶようまでは規則にありませんよ」
大体読めてきた。
この人は本当に傍若無人だ。何を言い出すか分からない。時折、本当に子供じみたことをいうのだ。聞いていてあきれるほどに。呼び名などにこだわるなんて、子供以下ではないのだろうか。
「君とは長い間一緒にいたのだから、名前で呼びあっても悪くはないと思うが?」
「私が嫌なんです」
こういうときに対処はたった一つ。
「どうして、そんなにつれないことを言うのだね、リザ中尉?」
「やめてください」
そう、ひたすら断り続けるのだ。
「…名前で呼んで欲しいな」
「お断りします」
はやく諦めて欲しい。
「リザ」
「いい加減にしてください」
本当に子供のような人だ。
「…り」
「撃ちますよ?」
上官に拳銃を向けるだなんて軍法会議ものではあるがしかたがない。こうまでしないと、この人は延々と続けるだろう。少しばかり苦笑しながら、大佐は銃口を見つめていた。私に打つ気がないのは分かっているようだが、怒っているというのがこたえたのだろう。
「きちんと仕事してください」
にっこりと微笑みかけながら拳銃をしまった。
彼はしばらく書類と私を交互に見つめながらつぶやいた。
「…私は寝る」
宣言したと同時に彼は執務室に置かれている横長のソファーに顔から身を沈めた。瞳を完全に閉じて、微動だにしない。
しばらく呆けていたが、こうしてばかりもいられない。
「…大佐、起きてください。大佐」
彼の体をゆすりなんとか起こそうとする。だが、わざと眠っているのだから起きるはずもない。
「狸寝入りなのは分かってます、大佐」
そのとき、扉がノックされフュリー曹長が入ってきた。相変わらず、眼鏡の下でおどおどとした目が動いていた。何かやらかしたのだろうか。
「失礼します、中佐は居られますか?」
「どうしたの、フュリー曹長?」
声をかけるとこちらに気がつき、あのという小さな声がかけられた。
「…あの、この間の発砲事件の事後処理で問題がおきまして、その中尉に…」
どうもはっきりとものごとが頼めないのが彼らしい。決まり悪げにぼそぼそと口を動かしていた。不安がらせないように、笑みを浮かべながら言葉をさえぎった。
「分かったわ、今行くから」
すみません、と本当に悪そうな子猫が鳴くようなか細い声でフュリー曹長は言うとそっと扉を閉めたのだった。
さて、問題はこの子供のような彼だ。
このままほおっておけば確実に眠りふけるだろう。そうすれば、また仕事もたまる。そうなれば困るのは目に見えていることだ。
彼はズルイ。
彼が望むものが何であるかはよく分かっている。それが自分にしか出来ないこともだ。それらを踏まえた上で彼はこんな事をしているのだ。必ず自分のほうに転ぶと確信して。私が必ずそうするものだと分かりきって。
本当に大人なのか、子供なのか分からない。
年上の大人らしく、驚くほどに尊敬に値する振る舞いをしながらも、自分の欲しいものは絶対に手にしようとする、子供らしさ。
全く持ってどちらが本当の彼なのか分からない。
両面とも彼なのかもしれない。
小さく溜め息をつくと、自分に言い聞かせた。これは彼に仕事をさせるための代償なのだと。しかしながら、言葉一つにすら理由をつけなければならない自分に苦笑いしたくなった。
そして、大佐の耳元に唇をよせると、囁くように口にした。
「………お仕事、きちんとしてくださいね。ロイ大佐」
事後処理を終えて司令部へ帰ると、休憩時間らしくハボック少尉が煙草を吸っていた。独特なあの香りが廊下に広がっている。窓辺をに視線を送っていた少尉がふと振り向き、急いで煙草の火を消した。彼なりの配慮なのだろう。ご苦労様です、と人好きのするような笑顔で少尉は答えた。それから、彼にしては歯切れが悪く尋ね始めた。
「あの…ホークアイ中尉。どうしたんですか、大佐は?」
「何かしらハボック少尉?」
またサボりでもしたのだろうかと思ったが、だとしたら少尉がなぜこんな態度なのだろうか。日常茶飯事のことなのだから。そして、大佐がしゃべりだした。まるで数学の困難な問題を先生に尋ねているような感じだ。
それはあまりにも単純明快な事だった。
その言葉に、おもわず唇が緩み笑みがこぼれてしまった。不思議そうに怪訝な表情をする少尉に、そうねと言い残し執務室へ向かった。
取り残された少尉は疑問がもうひとつ増えた。なぜ中尉が急に笑い出したりしたのだろうか。中尉の後姿を見送りながら、自らの言葉を頭の言葉にめぐらせた。
「大佐がすごい勢いで仕事こなしているんですよ、別に期限がさしせまってないのに。槍でも降るんですかね」
あとがき
鋼さん小説第三弾。
気がついたんですけど、書けば書くほど大佐が子供じみてくる。
なぜでしょうね。
今回もなんと一時間弱で仕上がりました。
やっぱりテレビもつけずに集中するとかけるもんなんですね。
書きたかったのは大人っぽい大佐と子供っぽい大佐。
そしてロイアイ。
どんなものでしょうか。(執筆 2003.12.05)