「…毎年、嫌な時期が来ましたね」
「お菓子業界の策略じゃないか、バレンタインデーは何なんだよ」
「バレンタインデーとは2月14日。小鳥が初めてつがう日といわれ、求愛やプレゼントの交換の風習などが」
「そんなことを聞いてるんじゃねーよ、ファルマン准尉」
 これは、東方司令部の一室での会話である。
 上からフュリー曹長、ブレタ少尉、ファルマン准尉、ハボック少尉である。
 聞くにも空しい話であるが、彼らの収穫は今のところゼロだ。
 軍というのは圧倒的に男性が多い。
 デスクワークなども大切な仕事ではあるが、基本的に肉体労働もそれと同じだけ溢れているからだ。
 もちろん女性が一人もいないわけではない。
 例えばリザ・ホークアイ中尉や受付嬢の方々など。
 だが、だからといってそう簡単に知り合えるはずもなく、男性ばかりの司令部は空しさに包まれていた。
 今日は特別な日だ。
 365日、いろいろな日があるが、名もない日もあれば、クリスマスと名づけられた日もある。そして、その中でも注目度が高いのがバレンタインデーと呼び慕われるこの日、つまり今日なのだ。
 貰える当てがないにしろ「もしかしたら」という期待は捨てきれないのだ。
 いつもより早めに職場へ向かうが、道で声をかけられることもなく、虚しく司令部へとたどり着いた。そして、何の進展もないままこのときを迎えるのだ。
 もちろん、みんながみんな、貰っていなければ空しさもあまり感じはしない。今年も貰えなかったな、程度で笑い飛ばせるものだ。
 すべての人間がそうならば。
 だが、どこにでも必ず一人や二人はいるようにいわゆる、もてる男、というのはいるのだ。こういうとき、神を呪いたくなる。何が平等だ、と。
 そのとき、その部屋に通じる扉が開かれた。
 それと同時に部屋にいた全員からの妬みと嫉妬と羨望の眼差しがその人物に注がれた。
 いわゆる東方司令部でもてる男と称される、ロイ・マスタング大佐、その人だった。
 彼は前が見えなくなるほど抱え込んだチョコレートの束を抱きながら、おはようと彼らに言葉をかけた。





058.バレンタインデー





「相変わらず、大佐はもてますね」
 香ばしいにおいが漂うコーヒーを人数分注ぎながら、フュリー曹長が言った。
「おかしいよな、なんであんなに貰ってるんだろう」
 ヤケ将棋を打ちながらブレタ少尉は愚痴をこぼした。だが、口にすればするほどその言葉は虚しくも感じる。
「すごかったですね。普段の鞄の他に2つも手にしていたのに入りきらなかったんですから。その上、両手に抱え込んでました」
「だいたい、女ってのは見る目がないんだよ。大佐、大佐って大佐にばかり渡して」
 愚痴をこぼしながらもその進め方は鮮やかで、パシッという乾いた音を立てながらブレタ少尉は駒を進めた。
「大佐が貰ってばかりだから、俺らにまわってこないんじゃないのか」
 咥え煙草を外して、ハボック少尉は煙たい息を吐いた。
「ハボック少尉は彼女からチョコレートを貰わないんですか?」
「そういうことが好きそうじゃないからな。料理も得意とはいえないし」
 彼女がいるだけ羨ましいですよ、と溜め息混じりにフュリー曹長がつぶやいた。
「空しいですよね。可愛い女の子からチョコレートを渡されたと思ったら、マスタング大佐に渡してください、がいつもですから」
「そういうときすごく辛いよな」
「なんで大佐なんかに渡さなきゃならないだって思うけど、あまりに一生懸命頼まれるから渡さないわけにもいかないし」
「どうしてこんなに虚しくならなくちゃいけないんだろ」
 こういうとき男性は異様な団結力を見せる。
 司令室の中がにわかに沸き立ち、大佐のせいで酷い目にあったという体験談が響きわたった。口に出せば出すほど虚しくなるというのに、同じような仲間がいると思うと妙に話が咲く。
 そのとき、ブレタ少尉が机をバンと叩いて立ち上がった。
「大体、一番の原因はあの女たらし大佐なんだよ。大佐が貰えば貰うだけ俺らが余るんだ」
「私が何だというのかね、ブレタ少尉」
 視線がその声の持ち主に集まる。
 先ほどまで、全軍男性の敵と見なしていた人物がいつの間にか執務室から出てきていたのだ。
「大佐、いつからいたんスか」
「たった今来たところだ。ところで何か面白い話をしていたようだが?どこかの誰かを女たらしだとか」
 大佐はにこやかに笑いながら、ブレタ少尉を見つめた。
 その笑顔は、彼が女性に向けるような酷く甘く優しいものではなく、表面上はとても優しげだが心の中では何を考えているのか分からない、といった感じのものだった。ブレタ少尉はこのとき覚った。減給か休日返上か仕事の増加か…消し炭だろうな、と。
 しかし、いつもなら遠慮なくこういったことが起きるというのに、今日はなぜだか何も言われなかったのだ。
 そして、あまり口には出さない事だね、と付け加えると大佐はまた何を考えているのか分からないような微笑を浮かべて立ち去っていったのだ。
 彼らの司令官が立ち去ってからしばらく時間が経った。予想外の行動に呆けていた彼らだったが、フュリー曹長がポツンと言った。
「機嫌が良かったんでしょうか」





 この日不思議なことばかり起こった。
 いつも通りどこかへ逃げ出しているのではないかと思われた大佐が、一日中、それも休憩時間までも仕事にふけっていたのだ。しかも、その書類たちはすべて期限がまだまだ先のものばかりだった。期限に追われる前に大佐が書類を仕上げるだなんて前代未聞だ。期限ぎりぎりになって中尉に監視されながら仕事をすることのが常だというのに。
 考えてみれば、ここ最近の大佐はすごかった。一昨日から脱走していないのである。おかげで大佐の仕事はほとんど片付いているのだ。まぁ、部下達の間で交わされる大佐と中尉の賭けはお預けだが。
 しかし、大佐の仕事が終わらなくていつも苦労している中尉が、大佐の仕事が片付いたというのに、あまり機嫌の良くない表情をしているのだ。これは一体どういうことなのだろうか。
 そして、そのホークアイ中尉が扉を叩いた。それは、この東方司令部司令官の執務室であった。
 重たい扉を軽く3度叩いて声をかける。
「失礼します」
 扉を押して中尉が正面を見ると、そこには大佐がいた。扉を開けたとき、まともにこの部屋の主がいることは珍しい。いつもならば、殻の椅子と風に揺れるカーテンと開け放たれた窓しか残されてはいないのだから。
 そして、この部屋の主はたいへん嬉しそうな表情で中尉に笑いかけた。
「また追加の書類が来ました。こちらは、上層部からの激励もとい嫌味の手紙です。そして、放火事件の書類、市街破壊の書類、過激派の事件の書類です」
 ご苦労様、と大佐は言いながらそれらの書類を手に取った。
「いえ、まだこれらの書類は期限が先ですので、近いほうから」
「もう終わったよ」
 大佐はさらりと言いのけて、机の上に積み重なった大量の書類の束を指した。
「全部、ですか」
「そう、全部だ。きちんと君が並べておいてくれた順にこなしたよ」
 喋りながらも、大佐は今渡された書類に目を通す。
「いつもの3日分は置いておいたつもりなのですけど」
「半日で終わったよ」
 中尉は積み上げられた書類の束を手に取り確認をした。確かにすべて書かれている。少し驚きながら視線を落とすと、自分を盗み見る視線に気がついた。
 それは、どこか幼さ溢れる笑顔だった。子供特有のほめて欲しいといった感じの、そんな幼さだった。つまりは無邪気な感じがするのだ。彼は「三十路近くとは思えない」と誰かが言ったように童顔だ。それにくわえて、いつもは幼さを覆い隠すように被られた仮面すらも取り払われ、純真な子供のようにこちらを見上げているのだ。
「ホークアイ中尉、今日は何の日だか知っているかい?」
「この前の発砲事件書類の提出日です」
「そうではなくて、もっと世間的にだよ」
「存じ上げません」
 中尉は言い切ると、大佐に背を向けて机の上にあった完成済みの書類を手に執務室を出ようとした。
 しかし、大佐はいつまでも中尉から視線を離そうとはしない。
 居心地が悪く、中尉が振り向くと嫌でも視線が合ってしまった。どこか玩具を買ってもらえなかった子供のように彼は拗ねるような表情だった。
 中尉は小さく溜め息をつくと、ソファーに置かれたチョコレートの束に目をやってから答えた。
「これだけ、チョコレートを頂いていればこれ以上必要はないでしょう?」
「中尉の手作りのチョコレートが欲しい」
 大佐は真面目な表情で中尉を見つめ続けた。
 負けたのは、中尉だった。
 少しだけ待っていてください、と大佐に告げるとしばらく部屋を後にして、そして戻ってきた。出て行ったときとは違い、手には紙袋が持たれていた。
 中尉は自分に言い聞かせながら大佐の目の前に紙袋を置いた。
 これは、彼の士気を落とさないための犠牲なのだと。チョコレート一つで脱走の常習犯が大人しくなるのならばそれでいいではないか、これで一週間はスムーズに仕事が運ぶだろう、何に気持ちもこもらない食べ物なのだ、と。何度も言い聞かせた。そして、理由付けしなければこんな簡単なことすら出来ない自分を苦笑いした。
「美味しくないと思いますが、どうぞ」
「開けてもいいいかね」
 大佐は万遍の笑顔で見上げてきた。
 この笑顔に騙されるのだ。いつも、いつも、負けるのは私だ。中尉はぼんやりとそう思った。
 大佐は紙袋の中からひとつの包みをとりだした。茶色の包装紙に黒いリボンと巻きつけて明るい色の花が添えられた包みだった。そして、それを丁寧に紐解くと彼が待ちわびたチョコレートがそこにはあった。一つ一つ細やかに作られたデザインも味も違うトリュフチョコだ。
「ありがとう」
 大佐は本当に邪気のない子供のように中尉へ言った。
 そして、その中のひとつを大佐は手に取り口に運んだ。ココア地のチョコレートに上からホワイトチョコをかけたものだった。嬉しそうに食べて大佐は言った。今まで食べたものの中で何よりも美味しい、と。チョコレートを溶かして固めるぐらい誰にだって出来ます、と中尉はうつむきながら答えた。





「一ヵ月後、楽しみにしていてくれ」
 全部きちんと食べ終わった後、大佐は中尉にそういった。
「お返しなどいりません」
 そして、それをキッパリと断る中尉。大佐は早くも一ヵ月後に思いを馳せている。
「中尉は何が好きかな、何だって用意するよ。花が欲しかったらイーストシティ中の花屋に行って君の家が覆いつくされるほど買ってくるし、宝石が欲しかったら君の瞳よりも大きなものを用意する。国が欲しいというのなら、時間はかかるけど私が大総統になった暁には未来のファーストレディにだって」
「何もいりません。それでしたら、お返しは今と同じように業務を手早く済ませてくださることです」
 本当に何が欲しいのか分からない大佐は、書類に目を通し続ける中尉に尋ねる。
「そんなのではお返しにはならないよ。本当に何が欲しいのかい?」
「…本当に何もいりません。真面目に仕事さえこなしてくだされば」
 大佐はしばらくの間考えをめぐらせて、中尉に言った。
「頑張って考えておくから、ホワイトデーは楽しみにしておくように」





あとがき

即席、バレンタイン小説。
14日の朝、やっぱりかかないと駄目かなと…当日に仕上げました。
急いで書いたからあまりで気が良くない。
話も考えないうちに書き始めたし。
でも、私には縁がない話ですよね。
今年は受験で友チョコ交換はしていないし、あげる相手いないし。
そのうち、時間ができたときにでもこれは書き直すかもしれません。(2004.02.14)