その日は切るような冷たい雨が灰色のお空から降ってきたんだ。
はじめは小さく、少なく、ポツポツと地面を黒く塗りつぶしていく。でも、どんどん激しくなって、バケツをひっくり返したみたいに雨が降ってきたんだ。
僕は雨がだいっきらい。
きっと、水自体がきらいなんだろうな。僕のいつもお手入れしている毛皮に触れると、一緒に雨も着ることになるんだ。しかも、すごく冷たいの。
リンドブルムと呼ばれるここには、僕と同じ姿のねこさんがいっぱいいるけど、その中でも僕は一番小さいみたいなんだ。みんな僕の倍ぐらいあるんだよ。すごく寒い日にね、おおきなねこさんに頼んだんだ。寂しいよ、寒いよって。おおきいねこさんにくっついてもいいって擦り寄るけど、みんな相手にしてくれないんだ。相手にされないぐらいならまだマシ。ひっかいて、意地悪してくるねこさんもいるんだ。そして、最後はみんなこう言う。
この世界は自分で生きなくちゃダメだって。
踏まれた猫の物語
冷たい雨に、体中が震えていた。止めようと思っても止まらない。歯がカチカチ言うの。夏のとき涼しさを運んでくれた優しい風。だけど、人が変わったように辛く当たってきた。冷たい風をピューピューって。濡れ細った体にはすごく堪える。
こんなときにとってもネコハダが恋しい。でも、だれも相手にしてくれない。おおきな葉っぱの下にもぐりこんで雨をしのぐ。でも、地面に広がった水がどんどん毛皮にしみこんでくるの。寒いよ。
あれ?
目の前にゆらゆらゆれている金色しっぽがある。でも、見たことないぐらい長くて太い。見たことないぐらい大きいねこさんかな。きっとふかふかしていてあったかいんだろうな。もしかしたら、ココロもすごく大きくて、ふかふかの毛皮で包み込んでくれるかな。
にゃーん、って鳴きにいったんだ。でも雨音に掻き消されて届いていないみたい。雨粒のせいで目がよく開けられない。目を閉じながらにゃーんって鳴いてた。
フギャッ、痛いよ!
僕のお気に入りのしっぽに激痛が走った。ひどいの大きいねこさんが僕のしっぽを……あれ?これってニンゲンの足とおんなじ気がする。
目を頑張って開けて見上げると、不思議な青色が煌いた。気がつくと、ひょいっと抱きかかえられていた。ニンゲンだ!とっさに身を硬くした。
僕の記憶にあるニンゲン。それはとっても怖かった。逆行でよく見えなかったけど、大きくて、意地悪だった。大きなねこさんよりもね。僕のおなかをボールみたいに蹴り飛ばしたんだ。痛かった。怖くて、怖くてどうしようかと思った。
でもね。その人は違った。ぎゅっと目をつぶっていると、あたたかいぬくもりに包まれた。大きな手がくしゃくしゃと、だけど優しくね、頭をかきなでたんだ。目を開けるとね、優しいあたたかい光を宿した瞳を見つけたんだ。
わるいな、どこか痛いところあるか、って青色の人は言ったんだ。
にゃ〜ん。それよりも寒いよ、って言ったんだよ。
お前一人なのか?こんなにチビなの。雨もひどいし一緒に来るか?
「ジタン、どうしたのその猫?」
青色の人に抱きかかえられて、どこかのお家へ入った。ん、お家じゃなくて宿屋さんって言うのかな。そこにはね、すごく綺麗な人がいたんだよ。僕と同じような夜のお空みたいな真っ黒髪だったんだ。
「ちょっとそこでね。フロいれてやらないと風邪ひくな。ダガー、ミルク買っといてくれない?」
それから、青い人に抱えられて湯気がもくもくとした部屋に入ったんだ。青い人はズボンの裾を捲り上げて、手袋とクツみんな投げ捨てたんだ。
「猫はお湯きらいなんだよな。でも、このままじゃ風邪ひくから少し我慢しろよ」
するとね、ぱしゃってあたたかい水がかかってきたんだ。僕の毛皮は水を吸って重くなる。体中がぞわぞわぞわってしてきた。水って気持ち悪いよ。ブルブルって体をふって水を追い払ったんだ。でも、上手くとれない。
「大人しくしてろよ」
そういって青い人はちょっと冷たい液をかけてきたんだ。トロトロしているの。ほんのり甘い香りがするんだ。
「猫用シャンプーなんて持っていないから、人間用で代用するけど…汚れ取れるよな?」
青い人の大きな手がくしゃくしゃと撫ぜると白っぽい泡が出来てきたんだよ。しゅわしゅわしてるんだ。そのうち、透明のふうせん…、しゃぼんだまって言うのかな、がでてきたんだ。きれいだった。ピカピカ、キラキラするものがねこはだい好きなんだよね。
にゃ〜ん、って手を伸ばしたんだ。だけどパチンって割れて、びっくりしたの。目をパチパチしばたかせていると、青い人はとつぜん笑い出したんだ。
「お前、シャボン玉すきなのか?」
と、青い人。そしてね、指をまぁるくしたんだ。中が透明の膜が張っていて、ふって吹くとしゃぼんだまができたんだ。僕、すごく、すごく嬉しかった。しゃぼんだまが部屋いっぱいに広がると、明かりが反射してキラキラピカピカしていたんだ。ゆらゆら揺れてネコゴゴロをくすぐるんだ。ぴょんぴょん飛び跳ねて、しゃぼんだまをつかまえようとがんばったんだ。
「さぁ、お湯かけて流すぞ」
青い人はあったかい水をぱしゃりってかけてきたの。え、いやだー。やだよー。ブルンと体を震わせたけど、あったかい水がばしゃばしゃばしゃって。目を開けると僕を包んでいたホイップクリームがすっかり消えていたんだ。
青い人は、僕をお膝に乗せて布にすっぽりと包みこんで、体の水分をタオルで吸い取ってくれていた。不思議だね。今までこんな風に、しかもニンゲンに優しくしてもらえるだなんて思ってもみなかった。あたたかいなぁ。ゴロゴロってのどをならしながら擦り寄ってみた。甘えねこ、とか口では言いながら抱き寄せてくれていた。しあわせってこういうことを言うのかな。
「可愛いね。あなたにそっくり」
さっきのきれいなお姉さんがやってきた。湯気の漂う食器を手にしてね。
「可愛いだなんて男にいうなよ」
「ねこさんどうぞ。少しあついから気をつけてね」
目の前に真っ白なお皿が置かれた。そしてそのなかも雪みたいに真っ白な液体が入っていた。すこし甘いにおいがする。ミルクかな?雪を盛り込んだな中に水面に映るような月が浮かぶ。明かりが反射するからなんだろうな。
ザラザラな舌をペロリとだして、ミルクをすくった。ほんのすこし熱いけど、寒がっていた体には丁度いい。ペロペロと何度か飲み込むと、顔を上げて鳴いたんだ。おいしい、って。
二人はね、すごく優しそうな目で見つめててくれたんだ。なんだか嬉しいな。二人とも心のやさしい人なんだ。黒い髪のきれいなお姉さんがソファーの上に座りながら優しげに笑ってたんだ。なんだか、特別何かしているってわけでもなくても、きれいだなぁって思うんだ。そして、青い色の人は甘えるみたいにお姉さんで膝まくらしてるんだよ。お姉さんはジタンいい加減にしてよ、とか言ってるけど口ほどに怒っている様子はないんだ。顔をふっと背けてるけどきっと照れ隠しなんだろうな。
「でもどうしてネコさん連れてきたの?ジタンは何も飼ったことがないって言うから、動物きらいなのかと思っていたの」
お月様みたいにキラキラと淡く光る青い人の髪。真っ白なおねえさんの細い指先がなぜるように梳いていく。のどを撫ぜられたネコのように、青い人は気持ちよさそうに目を閉じていた。
「別に嫌いじゃないよ。ただ機会に恵まれなっただけで」
ううん。なんだか僕のことが無視されてるぞ。もう一度ペロリとなめてからソファーの上に飛び乗った。
「なんかさ、俺に似てたんだよな」
青い瞳の人は喉元を撫ぜてくれたんだ。ネコは喉のところをこすられるのが大好きって分かっているみたい。それにしても僕と大きい人ってどこが似ているのかな。くるんってしっぽを体に巻きつけておひざの上で転がった。
「俺がガキのとき、こんな雨の日にリンドブルムに来たんだよな。その前にいたブラン・バルのことも覚えていないけど、あのときの事だけは覚えてる」
肌に張り付く濡れた服、髪から滴る雨雫、震えが止まらない体。
ただ頭に残るある人の声だけが頭に残っている。ここから南に真っ直ぐ歩いていくんだよ、ただその言葉だけを頼りに足を動かしていた。始めのうちは自分が住んだところでは見たことのない粒が空から降ってくる事に喜びを隠せなかった。手を伸ばし何度もつかもうとするしぐさをしていた。でもいつもするりと指の隙間からこぼれ落ちていく。
だけど少しも進まないうちに、濡れた服につらく当たる風が冷たさを運び体中が冷えてきた。靴の中もびしゃびしゃになって体の心から冷えていく。突然、一人でいる事が心細く、寂しくなっていく。どれだけ目を凝らしてもあるのは草原だけで、世界中からすべての人が消え自分ひとりだけになったように錯覚させられる。
心細くて、寂しくて、怖くて。
涙か空から降る雫のせいかは分からないけど、顔はもうぐしゃぐしゃになっていた。目が霞んでいたけど、ふとみると街らしき建物がたくさんあった。そして、駆けながら街に近づいた。それはすごく大きな円柱の形をしていた。だけど街に入っても呼びかけてくれたあのお兄さんはいなくて、降りしきる雫の中たたずんでいた。目線を走らせて探していたけど同じしっぽを持つ人は見つからない。しっぽを持つ人すら滅多に見えないのだ。たまに見るしっぽはヒョロッと細長くねずみみたいだった。
雫が止んでも濡れた体は冷たくてカタカタ震えていた。そのうち、お空が真っ暗になって、でも誰も来なかった。その場にうずくまって温まろうとしたけど、全然あったかくならなくて…。そのときだった。ひげがすごく長くて、お腹の大きなおじさんが話しかけてきた。さっきから何度か僕を見ていた人だった。
お前一人なのか、と低い声だった。小さくうなずくと、その人は言葉を続けた。
行くところがないならついて来い。お前ぐらいの年頃の奴も何人かいるから、と。そして踵を返して歩いてくる。あとは自由だ。そんな雰囲気が背中から漂ってくる。そしてその背中を慌てて追いかけた。
「で、それからタンタラスに入ったんだ」
どうやらお話は終わったみたい。手足をうーんとのばして体をほぐす。ごろんとお腹を見せて転がると青い人と目が合った。ニカッと笑って青い人はまた喉元をさすってくれた。
「パグーさんに会えてよかったね」
「そーかな。ボスは育て方が荒っぽいからひどい目にあったよ」
「冒険が終わって、落ち着いたとき。そのネコと一緒に二人でのんびり過ごしてみる?」
僕は眠りの端でその言葉を聞き届け、欠伸をしてから深い眠りについた。
激しく降りそそぐ雨はしだいに弱まっていった。雨音は弱まりおだやかな響きへと変化していった。単調に奏でられる響きは子守唄へと流れていった。
あとがき
いろはお題の第一弾。
今回は子供っぽさをだしたほのぼのとした話を書いてみたかったので、
擬音表現をたくさん使ってみました。
普段は擬音を使うと、
話という感じがしなくなるので控えてるんですが、
変わったか書き方も面白いですね。
残りも頑張るぞ。
(執筆 2003.10.14)