1-6   まだよ   まだなの   まだだってば






《 1 テン 》

テンは下半身が妙に大きい。
どうも、これはDNAの仕業らしいと母猫及び兄弟猫を見て納得した。
ちょこんとお座りをしている姿を見ると、どうも前足と後ろ足が平行に並んでいないのである。
後ろ足が収まるべき所に収まらず横ちょにはみ出ているのだ。
我が家ではこれを「テンのガッチャン座り」と呼んでいる。
ああ、顔が可愛いだけに(子猫の時ね)一層不憫だわ・・・
と、ひとしきり嘆いていたのだが、
案外役に立つ代物だと言うことが後に判明した。

あれは、近所のトラ猫「とら」が家にやって来たのが始まりだった。
この「とら」と言う奴、近所でも評判のふてぶてしく且つ、図々しい猫で
近所中の家の玄関を、前足で器用にちょこちょこっと開け、台所まで侵入してくる。
被害にあった家は数知れず・・・・・
だが、家人の目に留まっても動じる事無く、同じ歩調でノシノシ歩くその姿は
敵ながらあっぱれ!と思わず拍手喝采してしまった。

実は私はテンの去勢を暫らく躊躇していた。
雌猫には悠長なことは言ってられなかったが、なにせ雄は子供を産まない。
「いつの日かボス猫に・・・」との夢も捨てきってなかったので、
あの可愛いタマタマを取ってしまうなんて、ああ、そんな無体な事、
「とてもとても出来ないわっ」なんて言いながら、一日伸ばしにしていたのだ。
だが、そんな優柔不断な飼い主に天罰が下りるには、そう時間はかからなかった。

遂に、対決の日が訪れたのである。
名づけて「テンとら春の陣」である。

なんせ、タマタマを取っていないテンは、やる気満々である。
自分の大切なテリトリーをのし歩かれて黙っているほど腰抜けでもなかったので
(自分の実力を知らなかっただけ・・・とも言えるが・・・)
果敢に尻尾を膨らませ、あのヤブにらみの「とら」に立ち向かっていった。
しかし、なんと言っても生まれて一年目の若造が、百戦錬磨の「とら」に叶うはずもなく
形勢は始めからテンに不利であった。

組んず解れずの取っ組み合いの後、何とかリングサイドまで逃げ切ったテンだが、
後ろから迫り来る「とら」の執ような追跡。
それを振り切ろうと、必死で地を蹴るテンの姿・・・・。

あの闇夜の中で、街頭の光を背中に浴びながら、私の前を駆け抜けていった二匹の姿を
私はスローモーションビデオを見ているかのように
今でも脳裏に再生できる。

私はお馬鹿な飼い主なので、戦いに敗れたテンに対する失望よりも
あの見事な逃げっぷりに感動を覚えてしまった。
素晴らしい、脚力であった。
韋駄天、かっ飛びのテンちゃんである。(某、車のコピーをパクリました)
これもひとえに、あの異様に大き目の下半身の成せる技である
ルルちゃん、(テンの産みの親)ありがとね。

「三十六計逃げるにしかず」
良い諺だ。





《 2 チーコ 》

寒い寒い冬の朝、チーコは我が家にやって来た。
未だに何故、♪あの日あの時あの場所に♪(byオフコース)いたのかが不思議なのだが・・・

彼女はあの朝、うちの玄関の横に位置する、ボイラー室の天井裏に迷い込んでいたのである。
鍵はかかっていたのよ、変でしょ???

多分、当時3ヶ月ぐらいだったんだろうと思う。
両の手のひらに乗っかるほど、小さくて頼りなく、そしてミャーミャーと必死で鳴いた。
だが困ったことに、うちにはすでに黒猫のクーちゃんが絶大な権勢を振るっていた。
この女王クーちゃんは、高ピーで気難しく、一筋縄ではいかないお方で
他の猫との共同生活など、絶対彼女のプライドが許さないであろうと
下僕のいえ、下女の飼い主は考えた。
しかし、この寒空の中、どうしてこの小さな猫を放り出すことが出来ようか。
私は血も涙も、脂肪だってあるんである。

そこで無い知恵を絞って、私は彼女を一時的に納屋の二階に仮住まいさせる事にした。
その間に何とか女王クーちゃんのご機嫌を取り結ぶ考えであった。

頃は12月初旬、雪もちらちらと降り始めていたので
まずは、この小さな体を何で温めてやろうかと考え
私は籠の中に毛布を敷き、ホッカイロを仕込み、上からテントのように布を被った。
そして、お皿にドライフードを入れて、二階の片隅に設置した。

「はい、ここにご飯置いておくからね。此処に入っているんだよ」
そう、子猫に言い聞かせたものの、人恋しい子猫は
「一緒にいて頂戴。おうちにいれて頂戴。」
と言って鳴き続ける。
母屋に帰ろうとすると、必死になってついて来る。
「駄目だよ。此処にいなさい。又来るからね。」
そう言っておし戻す私。
閉めた戸のガラス越しに、すがるような目で、私を見つめる子猫に
私の胸は潰れそうになった。
母屋に帰って、納屋の窓を見ると、どうやって登ったのか
窓のさんの上に子猫が座って、じっとこちらを見つめていた。





《 3 チーコ 》

そうして一ヶ月が過ぎていった。
子猫はその体がまだまだ小さかったので
そのうちチコちゃんとかチーちゃんとか呼ばれる様になった。
たまには母屋にも入れてもらったりして、不思議そうにキョロキョロしていたが
いつの間にか納屋が自分の家だと認識し始めていた。

年が明けて、忘れもしない元旦の夜の事だった。
ご飯を持って納屋に向かった私は、チコの様子がおかしい事に気が付いた。
籠の中で動かないのである。
息はあった。だが、グッタリとして鼻の先が真っ白だった。
驚いた私は籠ごと自分の部屋に運び、クーちゃんには入ってこないように言い渡した。
クーちゃんに伝わったかどうかは疑問だが
普段から気に入らない子が自分の(?)部屋にやって来て
彼女のご機嫌は途端に悪くなり「こんな所、いられないわっ」と、出て行ってくれた。

一晩、様子を見てみたがチコの様子はドンドンおかしくなり
私は我慢できなくなって正月の2日に獣医へと走ったのである。

そこの獣医は死んだ父の同窓生だったので、「おお、○○の娘か」と親切に診てくださった。
病名は「溶血性貧血」だった。
春まで持たない・・・・と、宣告された。
ああ、あんな寒い所に1ヶ月も1匹で住まわせたから、こんな病気になったんだ。
私は深く後悔した。
そして獣医は尚も続けて言った。
「どうしても助けたかったら、電球の暖かさぐらいの環境で、絶対温度差のあるところに出さないように」

それで助かると言う保証があるわけではない。
でも、可能性があるのなら、何でもしてやりたかった。
原因の判らない病気に罹るのは私だけで充分だ。

私はチコに首輪をし、紐をつけて片方をコタツの足にくくり付けた。
ストーブは24時間つけっ放しで、その部屋でご飯も排泄も出来るように完備した。
大きな薬を砕いては飲ませ、ストレスでおもらしをするチコの後始末をし、2ヶ月が過ぎていった。
訳もわからず一部屋に閉じ込められたチコは、いつもいつも脱出を考え続けた為
いつしか上をグルリと見渡す癖がついた。

そうして春がやって来て、チーコは生き延びた。
医者は「まさか、助かるとは思わなかった」と驚いた。

チーコは病に打ち勝った。
彼女は私の福の神になったのである。

そして、もう14年が過ぎた。





《 4 お気に入り(人物編1) 》

ま、わかり易い所から言えば、カッコいい人が好きだ。
そりゃ、みんなそうだよね、当たり前か。
ただ、みんながそれぞれグッとくるカッコよさって微妙に違ってると思うんだけど
私の場合は柴田恭兵なんである。

最初に見たときは、はっきり言って好きじゃなかった。
だって、舞台出身の俳優さん独特のクドイ演技が鼻について、
とてもまともに見る事が出来なかったもん。
おまけに若い頃はチンピラあんちゃんのイメージがとても強かったので、
本当はどちらかと言うと嫌いだったんだ。

実は一番最初にファンになったのは今は亡き、沖雅也だったんである。
哀しい事に彼は私が最初に入院した年の6月28日に
私に断りも無く涅槃へと旅立ってしまった。
ったく、人が振って沸いた病気にオタオタしているって言うのに
「なんなのよ!!この仕打ち!!」なんて思っていたのだが
その心の隙間にスルンと入り込んできたのが、
以前、沖雅也と「俺たちは天使だ」で共演していた恭兵さんだった。
あの番組を見て、あの軽さがなんか好きになっていた。

そして、運命の「あぶない刑事」の登場である。
第一回目の放送の日が私の誕生日の次の日で、
おまけにその頃、長い入院生活で私生活にも暗雲が立ち込めていたので
その頃の私は笑顔をすっかり忘れていた。
その私がこの「あぶ刑事」を見て、笑ってしまったんである。
やっぱ、これはポイント高いでしょ。

あの、鼓膜を震わす声が好き。
あの、アドリブの効いた掛け合いが好き。
あのツーステップから走り出す走りっぷりが好き。
そしてセンスのいいファッションが好き。
ソフトスーツをスタイリッシュにきめ
キザにタバコを燻らせて、こう、きめ台詞を吐くんである。
「関係ないね」
なーんちゃってな。

恭兵さんは私の必須アミノ酸なんである。





《 5 お気に入り(人物編2) 》

恭兵さんを出したからには竹野内君も出さねばなるまい。
彼を最初にチェックしたのは、のりピーの「星の金貨」だ。
まぁ、星ですって。
やっぱりご縁かしらね・・・・。

・・・じゃなくて、

最初は兎に角可愛かった。
お肌もピチピチで、演技も素人臭くて、でもなんか一生懸命だなって思った。
なんと言っても役柄が良かった。
なんかエデンの東のジェームズ・ディーンを思い出した。
あのキャルのように、出来のいい兄貴の下で誰かに愛されたくて身もだえしている
不憫で不器用である意味崖っぷちギリギリって感じが
なけなしの母性本能をくすぐった。

愛する人に純粋にストレートに向かっていく、あの無鉄砲さも魅力だった。
こういう男の子が身近にいたなら、
「誰も愛してくれないんだったら、私が愛してあげるわっ」
なんて、かき抱いちゃうかもしれない・・・・。(妄想入っていますね)
いや、だいじょうぶよ、一応私にも分別はあるから。

「ああ、可愛い竹野内君、よし、よし。」
なんて思っていたら、「With Love」の天(たかしと呼ぶそうな)の登場だ。

あら、やっぱりご縁だわっ!ご縁!

天は・・・、何はさておき、クールで綺麗でいい男だった。
山ほど女性にもてるくせに、真実と不実の境目で身の置き所を探している
至極、真面目な青年だった。(・・・と、私には思えた)
しかし、見てくれがこれほど好みだったのも珍しい。
久しぶりに胸がときめいちゃったわっ。
以来、私の部屋のカレンダーは4年連続、彼である。

惜しむらくは最近彼はワイルド系にコーディネートしている。
私は前髪パラリの彼が好きなんである。
おひげ、ブチブチあんまり好かんの。

ああ、時代劇もあんまりいただけないかも・・・。





《 6 フレンチ 》

でへへへへ・・・・・
実は私はあまり「食べ物」に対して執着が無い。
昔、友人に、「○○(私の本名)は、ただ生きるためにのみ、食べているような気がする」
とまで、言わしめた人間だ。

その私が、何故か月に一度はこの店に顔を出すようになってしまった。
これも、みぃ〜んな△△のおかげさまである。
この△△は、「混んでいる店が美味い店」と言い切り、
それまで「混んでる店には行きたくない」と思っていた私に、
新しい観念を(いや、それ程大げさなものじゃないけどさ)植え付けてくれた。

ああ、そうか、美味い店は混んでいるものなのだな。成る程。ふーーん。
こんな当たり前な事すら、考えた事も無いほど「食べる事」には興味が無かったわけだ。
いや、面目ない。

それから、二人でいろんな所を食べ歩いた。
といっても、富山・石川限定である。
なんせ、「日帰りのランチのみ」っちゅうところが
何気に貧乏くさい我々である。

その中でやっと見つけたフレンチの名店がこの店
金沢市内の閑静な住宅街(というか、もう、ホント、小さな片隅にある)

ル・ルミニョン

ここのオーナーはちょっと小柄な50代と思しき女性で
いつも白いブラウスに黒いロングスカート・・・。
黒ぶちの眼鏡をちょっぴり傾げて
ニッコリと微笑みながら私たちを迎えてくれる

さて、皆さん、オーナーからの心尽くしをどうぞお召し上がりくださいね。

オードブル
(サーモンのマリネと甘海老のタルタルソース)
スープ
(栗のポタージュに杏のクリーム)
フランスパンとワイン(ロゼ・ダンジュ) 白身魚とホタテのムース
グラニテ(アセロラのシャーベット) 牛フィレ肉の赤ワインソース煮
デザート
(アップルパイに栗のアイス洋ナシのコンポート)
食後の紅茶


おーーーっほっほっほっほ。
今度は貴方と一緒に行きましょうね。

メンバーズカードが一枚満タンになっていてよっ!!

(また、腹が出たな。ま、いいか。)