まだよ






《 7 星空 》


星空を見上げるのが好きだ
好きだと言う割には、星座の事も宇宙の事も、まるでわからないのだが・・・

それでも夜空を見上げると、胸をつくような切ない思いに囚われる
このうずきを味わいたくて、時々、真夜中にこっそり庭に出て、星空を仰ぐ

空気は透き通るように冷たく、凛として、私の体を包み込む

私は思い切りその冷たい空気を、胸一杯に吸い込むのだ
すると、それまで鬱々と胸の中に巣作っていた思いや、息苦しく、湿りがちな悩みが
まるで、その冷たい空気の中で、カチンと凍った氷の粒になって
私の心から零れ落ちていく

すると、不思議と気持ちが軽くなる

「ああ、寒い」
私はブルッと身震いをし、上着の襟を寄せて
ちょっぴり元気になって、家の中に入るのだ





《 8 旅 》

若いときに病気になったので、余り旅という物をした事が無い
そう言うと一部周囲から異論の声が聞こえてきそうだが
本人がそう思っているのだから、誰がなんと言おうと確かである
北は新潟よりも北上したことはないし、
南は九州、長崎どまりだ
海外は○○前にヨーロッパに一度と、5年前に香港に一度
後は日帰りコースを体調を無視してドライブする程度である

旅に出たいと思うのは、沢山の人たちを眺めていたいから
名も知らぬ人達を眺めていると、自分のちっぽけさを再確認できて
私一人ぐらい、どんな生き方をしても世の中は何も変わらないのだと
ちょっぴり安心できるのだ

あんな事も、こんな事も、ほんの少しの勇気があればなんだってできるはずなのに
小心者の私は、周りの目が気になって、もう一歩が踏み出せない

私は、私という名の人生のヒロインだけど
でも、時には名も無い端役の一人になって
誰にも注目されないで、誰にも何も見咎められずに、自由気ままに行動してみたい

旅は、がんじがらめの自分を開放してくれる・・・・
そんな気がする

ああ、どこかに行きたいな





《 9 怒り 》

以前から私は「怒り」を利用して生きてきた
辛い事、悲しい事、悔しい事、人間生きていれば色んな場面に直面する
「負の感情」に囚われる事から避けて生きていくわけには行かない
だからこそ、それを利用する事を覚えたのだ

「怒る」事で、自分を守り
「怒る」事で、これからの自分を模索する・・・
だが
たとえ、「怒り」を体の中に芽生えさせたとしても
決して、その「怒り」に飲み込まれることだけは避けたいと
それだけは心に決めて毎日を過ごしてきた

最近、この「怒り」に久しぶりに直面してしまった
一通り、「怒る」事を終えた後
冷静に考えるようになった。
このまま、自分の中で「怒り」を凍結させてはいけないと思った
この「怒り」という負の感情を
「教訓」という正の感情に変えなくてはいけない
それには「理解」と「自分自身を見つめなおす」という作業が必要だ

お陰様で私はてんびん座のO型なので
あまり長い時間「怒り」に囚われる事が無い
それは、私にとってとても醜く、格好の悪い事だからだ

ゆっくりと、考えよう

決して逃げる事無く、乗り越えて行きたい
そう思っている





《 10 ちょっとため息 》

子供の頃、「おしゃべりすずめ」と呼ばれていた
口から先に生まれてきた子供・・・・とも言われていた
「おちゃべの(おませの同意語)ミーちゃん」
・・・・と親戚の叔母さんは、面白がって猫可愛がりしてくれたので
益々いい気になって私は喋り続けていた

そう、お恥ずかしい話だが私はそんな子供だった

年の離れた兄弟と対等にやり合うには
体力では絶対的に不利な末っ子は
屁理屈と親の庇護に頼るしか、身を守る術は無かったって訳だ

そう、口喧嘩なら誰にも負けない自信が、私にはあった


皆さん、お気付きかと思いますが
・・・・・・過去形である・・・・・

もう、何年前からだろうか・・・・・・
咄嗟に適切な言葉が出てこない時がある
ボキャブラリーが超貧困になるのだ

いつもなら、「覚えていよう」と意識をしていなくても、自然に蘇ってきた記憶が
まるで霧のかかった川岸の向こうの、おぼろげな影のように
どうしても思い出す事が出来ない。
大事な時に思い出せないくせに、どうでもいい時にパーーっと蘇ってくる
・・・・・・・・遅いんだよ・・・・・・
おまけに、記憶が前後してしまった日には、もう最悪

ずーーーっと、頭の奥の、奥の、芯のような所に
頭痛とはちょっと違う、除夜の鐘のような響きが鳴り響いているようだ

いつもって訳じゃないのよ、念のため
でも、なんか、「まだらボケ老人」みたいで、嫌でしょ

当時、仲の良かった友人に、泣きついた時もあった
だって、やっぱり、恐かった
彼女は優しい人だったので、色んなシーンでさりげなく私を助けてくれた
今でも感謝している
ありがとう、Y子さん

でも、それでも自分がどうなっていくのだろうかと、とても不安だった
MRIをして、原因が何処にあるのか調べてもらおうとした事もあった

医者は気にしないようにと言ってくれたが
きっと薬の副作用じゃないかと、私は正直疑っていた
その数年前から、いわゆる「老眼(ああ嫌い、この言葉)」にもなり始めて
眼科の医者が、カルテの年齢を見て
「早すぎるな・・・ま、しょうがないか」
と、呟いていたのが頭にくっきりと刻み込まれていたので
そのせいもあったかもしれない

ある人が、情報は目から入ってくるものだから、そのせいもあるんじゃないか?
と言ってくれたが、どうしても「老眼鏡」は使いたくなかった
女心ですかね、若さ故の意地だったんでしょうかね
「老眼鏡」は、持っているけど未だに使わない

悩んで、落ち込んで、悩んで、悲しんで・・・・・・・


そのうち、慣れた

最初から、馬鹿だったと思えばいい
人様に迷惑さえかけなければそれでいいや
そう思うことにした

恥をかきたくなければ、メモを取ればいい
メモが取れなければ、「忘れちゃった」って言えばいい

おかげ様で、まだどうにか世間様は誤魔化せるし
(ちょっと、忘れっぽい人って程度)
それ程「ボケてる」訳じゃないから、皆さん、引かないでね
(一部、これを読んでうなずいている人が、数人いるのは解っている、君だ)

ああ、そうだ。
以前、離婚する前後の頃さ
数年間、「結婚記念日」が3月24・・・だったか、25だったか
マジ本気で忘れていた
人の心って上手に出来ているんだなぁって、我ながら感心した
これはちょっと、意味が違うか

今、私は右脳(だけ)で世の中を渡っているような気がする


時々・・・・・・
まぁ、ホントにたまになんだけど・・・・・

この事を知らない人が、当てこすったり、イヤミな事をしてくる時がある
知らないんだから、しょうがないんだけど

ちょっと、ため息がでるのね





《 11 安住 》

いつまでも安心して眠れるように・・・・
いつまでも安心して暮らせるように・・・・
そう願って、つけた名前

あんじゅ

なのに、たった一年の命で、あん、逝っちゃったんだね
最初、お前を見たとき、甘えたいのに甘える術を知らない、迷子の子猫に見えたよ
だから、思いっきり甘やかそうと思った
人の愛情をゆっくり教えてやろうと思った
こんな人生もあるんだよ、猫は本来こうやって生きてもいいんだよ
そんな風に一緒に楽しく、日々を送らせてやろうと思った

私は完全室内飼いは出来ない
これからも出来ないだろう・・・というよりも、しない

ネットを始めてから、ブリーダーの友人が沢山出来たが
私は所詮、ただの猫好きの猫飼いに過ぎないのだ
できるだけ自由に、できるだけ本能のままに、
飼い主とか、ペットとか、そう言うのではない
お互い、持ちつ持たれつ、
助けたり助けられたりの関係が(助けられる方が多かったけど)
とても心地よく、とても愛しかった

あんは・・・・

私と母に笑顔をくれた
テンと仲良くなめ合う姿は、とても心を和ませてくれた
この子達の寿命を見届けるまでは
簡単に入院するわけにはいかないと思う事で
私自身も力を貰っていたと思う

あんちゃん
ほら、まだ薬が一週間分残ってるよ
これを飲みきったら、お薬止めてみようって先生言ってたじゃない
やっと此処まで良くなって来たのに
まだ一年しか生きてないのに
なんであんなに冷たいアスファルトの上に横たわっていたの?
なんで、1メートル、たった1メートル表に出ちゃったの?

とっても、とっても、可愛かったあん
もう一度、お前のちょこちょこ走りが見たい





《 12 いのち 》

晴れ渡った冬空を見上げると
蜃気楼のようにゆらゆらと
あんが空に昇っていった

今日、あんじゅを荼毘に付してきた
石川と福井の県境にあるお寺は動物専門のお寺で
30分のお経と個別の火葬をしてくれる
私はいつも家の猫が逝ってしまうと、高速道路を使わずに
国道をちんたらちんたらと、なるべくゆっくりと無駄な時間を掛けて
その子の今までの楽しかった思い出や、可愛かった思い出を辿りつつ
お前がいかに可愛くて賢くて自慢だったかという事を切々と語って聞かせながら
ゆっくりと現実に近づいていく

長く病気を患っていると、人の死に慣れてしまう事がある
昨日まで同室だった人や、洗面所で一緒だった人が
ある日、気が付くと亡くなっている
そんな事が何度もあった
父が亡くなった時も、それが余りにもあっけなかったので
「ああ、人の命と言うものはなんと儚いものだろう」と思ったものだ
だが、その数ヶ月前に亡くしたガォという猫は
私に生命力の強さを見せ付けてくれた猫だった

「強くて逞しくて、そして弱くて儚い・・・そんな命」
この相反する二つの意味の、どれが本当の命の姿なのか
正直今でも良く分からない
良くわからないから、この淋しさや悲しさと
どう折り合いをつけていけばいいのかもわからない
でも、今私が感じている悲しみは
決してあんじゅの命が軽い物ではなかった事を物語っている

あんじゅを炉に入れる前に
「どうぞ最後のお別れを」と住職さんがおっしゃった
冷たくなったあんじゅの体を、隅々までテンの変わりに撫でてやった
何処から沸いてくるのか、可笑しな位に涙が溢れた
抱き上げて、頬ずりをして「有難うね、あんちゃん、大好き大好き」
そう言って金網の上に静かに乗せた

帰り道、小さな白い骨壷に納まったあんを膝に乗せて
母が一言こういった
「動物でも植物でも、軽く扱う事は出来ないし、許せない」

そうか・・・と、思った
命を失う事に慣れてしまってはいけないのだ
折り合いを付けてはいけないのだ
命を失う事によって振りかかる悲しみから、逃げてしまってはいけないのだ

ドンドン悲しもう
ドンドン涙を流そう
悲しむ事を隠してはいけない
悲しむ事を恥じてはいけない

だってそれは、私があんじゅを愛した確かな証拠だから