菅 原 道 真 

                                       
                                              米原雲海 


                             

                  
               
 

         
  明治43年度 日本美術年鑑 記載によれば   東京彫工会第六部長.日本美術協会委員.日本彫刻会会員


            東京彫工会、日本美術協会、内国勧業博覧会 その他 外国博覧会等において 得たる受賞の種類の総括

              「金賞牌3回.銀賞牌8回.ロウ銀賞2回.銅牌5回.褒状10回.
    
                
    文部省美術展覧会 第1回、 第2回展 共に3等賞 第3回展は褒状を得

                  調査中 宮内庁買い上げ 9点. 日本政府買い上げ 3点. イタリア国 1点. 
北欧 1点「清宵」

                     現住所  東京市本郷区駒込曙町16 

      【芸術的価値】

      ,本作の最大の見所は,日本の伝統的な木彫技法を用いつつも,
         ブロンズによる西欧近代彫塑と同一の制作方向,すなわち人体把握における美術解剖学的な正確さと内的充実感溢れる
         三次元量感表現の二点を実践しようと試みているところにある。
         
         前者についていうならば,全身のプロポーション
         のなかでの頭部の比率がやや大きめであるのが観者に若干の違和感を与えるものの,全体としてはきわめて
         自然主義的な着衣人体表現が高度な水準でなしとげられているとみなすことができる。

         ことに肩から腕に左右ともごく自然な流れが破綻なくかたちづくられていて注目されるだろうし,
         さらには,両手首から指先にかけての無理がなく,細部にいたるまで写生的態度を徹底させた形態描写も秀逸と評してよい。

         また,ジヤマ部様の基底部頂上辺に置かれた本体左足(向かって右側の足)を遊脚とし,対して右足(向かって左側の足)
         は支脚とすることで上半身部は向かって左手前方にやや傾斜する体勢をとることとなるが,

         その際の背中から腰にかけての
         身体形状のとらえかたにも可能なかぎり美術解剖学の原理に添った正確性が心掛けられていることが認められ,
         本作があくまでも西欧近代的な意味での科学的対象観察態度を制作の基盤としていることを強くうかがわせる。

           加えて,こうした身体の動きに即して生みだされる着衣のふくらみや捻れ具合,幾分かラフな衣紋線の描写も決して作り物
           ではない現実感を伝えるものとなっている。結果として,当然ながら本作は,単に着衣人物の外面的相似性のみを追求した
           平板な写実描写に終わることなく,そこに確かに実体が存することを観者に納得させるだけの,人体内部からの
           有機的な張りが漲る堅固な量感をそなえた人物彫刻として完成されることとなったのである。

           そして,この身体部と,
           類型化されきれておらず,むしろ木訥ともいえるような相貌の頭部が一体化することで,本作には,
           人間くさくも生き生きとした豊かなリアリティーがもたらされているわけである。

           もちろん,このようなリアリズム精神に支えられた三次元人体表現の課題は,洋風のブロンズ彫塑の分野ではすでに
           明治初期から取り組まれていたものであるし,日本近代の木彫作品制作における芸術的意義がすべて近代西欧風の
           写実描写の摂取の成否に求められるわけではない。
   
           しかしながら,西欧風の写実観に触れ,しかも日本のブロンズ彫塑
           とさえも常に対比,評価されることとなった以上,木彫の分野もまた,現実世界の把握を単純な技法上の問題としてではなく,
           より深い外界把握の世界観に立脚して再現描写しようとする19世紀西欧美学芸術観の思想的問題として対峙し,
           近代的造型の創出を模索することとなった歴史的事実は否定できないわけである。それにもかかわらず,
           成功例が今日にいたるまで決して多くはないのは,周知の通りである。そうしたなかで,本作は,
           木彫技法によるいわばロダン的彫塑表現の可能性に対するひとつの回答を近代日本の比較的早い時点で示唆し得たものとして,
           高く評価できるのではないだろうか。

               【技術的価値】
            まず指摘しておきたいのが,作品本体の外見上の重心は支脚である本体右足(向かって左側の足)
            にすべてかかっているように造られているのだが,本体左側(向かって体部右側)の姿態が生みだす絶妙なバランスによって
            ,実際の物理的重心そのものは,ほぼ本体左足(向かって右側の足)の辺りに落ち着けられているということである。これは,
            一見あたりまえのことのように映るが,現実にはよほど綿密な力学的構造設計を想定しないかぎりは,
            木造りの木彫作品では実現不可能なことであり,このことからも,本作における作者の木彫制作の技量が
                きわめて高度かつ円熟したものであったことが理解される。

            加えて注目されるのは,固い木材の木目にあえて逆らう
            かたちで着衣部のみならず顔面や両手の体表部にいたるまで作品全面に細かな刀痕が残されている点であり,
            その結果,本作は距離を置いて鑑賞した場合,あたかもロダンのブロンズ彫塑の表面にも似た視覚的触覚性の
            効果を生みだすこととなっているのである。このことが,作者にとって果たしてどれほど造型上の自覚的行為
            であったのかは即断し難いのだが,いずれにしても木彫分野では特異かつ稀な事例といえる。

               


                           

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