東京国立近代美術館 工芸館 展示風景

                                  ≪【国認定】 登録美術品 第2号.3号.5号 ≫ と 
 
                              ≪林忠正 考案 制作依頼品。 近代金属工芸、 最高傑作品 十二羽の鷹≫

                                      

                    


                 【国認定】 登録美術品第五号   (鉄地金銀象嵌人物図大飾皿)

                 【国認定】登録美術品 第五号 東京国立近代美術館 工芸館 寄託中

                  京都駒井象嵌の源流 後象嵌は ヨーロッパから伝わる

      スペンイン トレドの街の伝統産業はイスラムの流れを多く汲み 幾何学文様の作品が多く見受けられる
 

                                         

                          
   東京国立近代美術館工芸館へ リンク


 2008.2より近代工芸の名品 花と人形展 登録美術品第1〜5号まで一同に初に展示されました

東京国立近代美術館 工芸館  近代工芸の名品    花と人形展  2008.2.26〜5.11

                                    【国登録】 登録美術品第5号 
 
              東京国立近代美術館寄託  
 明治初期製作    京都駒井製 駒井音次郎  
後象嵌への流れ 
 

          
                         

               スペンイン(ポルトガルの貿易をとおして)〜≪シリア「発祥の地」≫  スペンイン の城壁で取り囲まれた古城の都市「トレド」では、
 
                 今日も連綿として地場産業品として製作されています スペンイン旅行にて、工房見学」 
後熊本と姉妹都市に締結とのこと

                                 現地日本人ガイドが説明す
     
      
              
 古田織部の図。武士≫ 家紋。丸に三≫ 茶道。千利休弟子、頭巾 鞠、窓の図柄1個ずつ異なる、

                     枠は葡萄紋様にて地金は鍛鉄  銀、金象嵌 黒色は黒漆

      本作品は、明治期の屈指の工房、京都駒井において駒井音次郎の製作によるものである。置物や飾り物等の駒井製の金工品は
     、我が国の当時の金工を代表する物として西洋でも数々の名声を博しており、海外の万国博覧会でも種々の受賞を重ねていった名品である。
      しかしながら、これらの駒井製の金工品は、海外に日本の文化を発信するために制作されていたため、我が国に現存する物は非常に数少ない。
      特に、本作品ほどの駒井製の作品は世界的にも非常に希少であり、明治工芸の収集で有名なロンドンのハリリ・コレクションに
       数点所蔵されていることが知られているのみであろ。
登録番号 国認定 登録美術品第5号
美術品の名称 鉄地金銀象嵌人物図大飾皿
(てつじ きんぎんぞうがん じんぶつず おおかざりざら)
員数 1枚
種類 工芸品
制作者
  氏名 駒井音次郎(こまいおとじろう)
  生年及び死亡年 天保13年(1842)〜大正6年(1917)
  作品製作時期 推定 明治9年〜18年(1876〜85)
(1) 作品の概要
法量  高5.8  口径55.1 (単位センチメートル)
 鉄製、金銀象嵌を施した大形の飾皿、縁は括を入れて十四花形とし、高台をつける。見込に2条の銀の紐帯で3区に分け、内区は御簾を背景に頭巾をかぶった人物を高肉で表した鉄板を嵌めて鋲留し、金の平象嵌と布目象嵌で三疋両紋に花菱文の文様の衣を表す。中区は狭く、金の布目象嵌で雷文を廻らす。外区は内側から間弁つきの連弁様花弁、先に猪目状の刳りを入れた捩り葉、縁との境に蔦唐草を配す。連弁様花弁は各弁とも雷文、鋸歯文、菊花文金布目象嵌し、捩り葉は様々な花、鳥、家紋などを金象嵌した円文を散らし、余白は格子地に花菱文を銀布目象嵌で表わす。外区の蔦唐草は金布目象嵌であるが、青金、赤金を併用して微妙な色彩的変化を与えている。
 底裏に「日本国京都住駒井製」の銀線象嵌銘がある。
(2) 制作者について
 駒井家は代々、京都で刀匠を家業としていた(弘化年間[1843−47]に京都に駒井慶任という刀工がいるが、これが駒井家の祖先か)。本作品のような細密な金銀象嵌の装飾品を作り始めたのは、音次郎の代になってからである。
 音次郎は清兵衛の三男として天保13年(1842)に生まれた。父、兄ともに刀匠であったが、音次郎は肥後出身の三崎周助から肥後象嵌の技術を学んだと伝える。明治9年の廃刀令により、肥後象嵌の刀装金具の制作から、その技術を生かして、西洋向けの置物や装飾具などの制作へと変換し、これが外国人の間で好評を得、さらに神戸の美術商池田某と契約して池田合名会社との一手取引を行うこととなった。明治18年、火災にあい家産を失ない、一時期不遇となるが、多くの外国人が作品を買い求めたことで復興した。内外の博覧会にも作品を出品しており、明治36年の第5回内国勧業博覧会、同37年のセントルイス博覧会、同38年のリエージュ万国博覧会では賞を受けている。
 明治39年、家督を2代目音次郎に譲り、自らは「周亮」と名乗り、大正6年に75歳で没した。
 2代目音次郎も明治41年のサンクト・ペテルスブルク、同42年のシアトル、43年のブリュッセルとロンドン、大正2年のウィーンなど積極的に海外の博覧会に出品している。昭和16年まで制作を続けたが、戦後は真珠店に改めた。
(3) 作品について
 駒井の作品は、音次郎が肥後象嵌工、三崎周助から技術を学んだという伝承があるように、金銀の布目象嵌の作品が圧倒的に多い。また作品の種類も海外の博覧会のカタログをみると、塔形置物、盆、箪笥、手箱、花瓶、皿、装身具、宝石箱など多岐にわたる。作品の傾向は、明治18年の被災以前は大形の置物、装飾品が多く、それ以降は煙草入れ、宝石箱といった実用性を備えた品も加わっている。こうした作品傾向から、本作は明治9年から明治18年までの間の作品と推測される。
 飾皿としてもこれほどの大作は少なく、高肉象嵌に金銀の布目象嵌で細緻に文様を表した作風は駒井の典型的なものであり、また技術的にも破綻がなく、見事である。これほどの大作は、ロンドンのハリリ・コレクションに数点あるにすぎない。また、日本国内には、駒井が海外への輸出を専業としていたため、現存作品がほとんどないというのが現状である。

 駒井の典型かつ優品である本作は明治期の輸出工芸品の趣向を知る上でも資料的価値が高く、また明治時代の金工技術の優秀さを示すものである。
                       京都 駒井製 鉄地 金銀象嵌茶壷の名品 新発掘の駒井作品 茶壷はどの図鑑にも掲載観ず 非常に珍しい                                 
次へ

ホームに戻る