米原雲海 作品集

     3点                            竹取翁   3点

                   

           



                                      なんでも 鑑定団  2005年4月12日放送


鑑定団メンバー

2005年4月12日放送

 
  壱千萬円  
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                   鑑定士総評

         本物。手足の動き、驚きの表情は見事。作品もあまり残っていない点からも評価高い。

         近年 米原雲海 作品が多くの展覧会などで つぎつぎと見受けられるようになりました、登録美術品16号の指定も受け

           雲海の魅力も加わり 師 高村光雲先生 作品にも 劣らぬことが 見直されてきました。

         雲海作品の一部は 光雲作品として後世に伝わっており 師からの制作依頼品は師が銘を入れ

            今日に至るも同様であり 代々伝わる慣習です。修行時代より 特に可愛がられ

          光雲の双璧の片を担う雲海は師の代作を多く手掛け、短命が故に在銘の作も少なく 《現在判明60点余》貴重であります。

         このたび 雲海作 竹取翁が なんでも 鑑定団に出品され 高額な評価を受けましたが 今後ますます

            作品達は 見直しされることでしょう。

         先日 美術商にて 「月 。竹取翁。」 山崎朝雲「岩佐又兵衛」を拝見いたしました

              共に素晴らしく 保存状態もよく 目の保養をさせていただきました。

 
                                                                 
 


                                               仙丹


                                東京国立近代美術館 所蔵      高さ 34.0p
          
                        1910年 明治43年 41歳 造   文部省美術展覧会審査員に任命される。 

                           日本彫刻会第2回展、後 第4回文展に出品   政府買上となる

                              右手に中国の仙人が用いる不老長寿の霊薬《仙丹》を持つ

                      米原雲海は師匠 高村光雲の重要文化財指定 「老猿」の制作助手として また 善光寺「仁王像」の

                       製作者《高村光雲 監修》として活躍するが 一を聞いて十を察するという俊敏な才能のある人物であった。

                     岡倉天心に傾向 敬愛し、 売れない物を作りなさいと言われ、媚することを止め 逸話 伝説に画題を求めた。

                        精神性を求めた作品がこの当時多くの木彫家に於いても制作されている。岡倉天心も雲海の才能を認め

                                  経済面に於いても多大の協力を行った。

                             



                              下記 ジヤマ に掘り込まれた 清 宵 作 品 銘 文

                                   1907年 明治40年 38歳  東京勧業博覧会彫刻部審査委員に任命される

                      同博覧会出品 一等賞受賞作、 再度出展  1910年 明治43年  日 英 博 覧 会   金賞受賞 

       
                       日本の威厳を示す為 《日英同盟》 国の威信を掛けて取り組んだ 英国博覧会であった

                          このとき展示された多くの作品は今日に至るも 名品として伝わるものが多くある

                              

            二   祖   慧   可
       
      じ       そ       え       か
      
                            2005年1月3日 新発見  米原雲海 明治41年制作 39歳 二祖大師
 

          六祖                    
            初祖 達磨大師
                  二祖 慧可(正宗普覚大師 姓は姫。幼名は神光 神光は、後に少林寺の二祖慧可となる)
                         三祖 僧(鑑智禅師)
                                 四祖 道信(大医禅師)
                                       五祖 弘忍(大満禅師)
                                                六祖 慧能(大鑑禅師)

 頼岳寺では、御開山様から各家先祖代々まで連なる御位牌をお祀りしている開山堂を「聯芳堂」と御呼びし、額を掲げています

。聯芳とは釈尊から達磨大師を経て綿々として仏法が伝えられ、当所に至る道程を現しています。そして、開山堂の欄間には

、禅宗が興った中国の祖師たちのエピソードを彫刻にし称えています

                        

        
                        「中国仏教」本の「慧可(えか)」については 「慧可」の禅法を語る時、
                           多くの人々は必ずその「断臂求法」の伝説を思い浮かべます。
                            「宝林伝」という書の第八巻にある「慧可碑」では、慧可が達磨大師に仏法を求めた時に、
                              達磨大師は「仏法を求める人は、自分の身体を身体にすることはできない。自分の命を命にする事はできない」と言い

                    、慧可は雪の中で何日間も立ちつづけた後、自分の腕を切り落として、その決心を示したのです。
                       達磨大師は慧可の決意を知って、 仏法を教えることにしたのです。
                           この「雪中断臂」は禅宗の有名な話しとして広く伝えられ今日 米原雲海作品として再現されました。

                    達磨大師がのちに嵩山(すうざん)の少林寺にてひたすら坐禅を組んでいたとき、
                       達磨の弟子になることを欲して慧可(えか)が門を叩いた。
                         しかし達磨は「私の仏法はたやすく参じられるものではない、帰りなさい」と拒絶する。

                     慧可は降り積もる雪の中、腰まで雪が埋まるまでずっと立ちつくして許可を待った。
                       しかしそれでも達磨の許しは得られず、慧可は達磨の前で小刀で自らの左のひじを断って求道の赤誠を示し、
                          達磨もその熱意に打たれて入門を許可、のちに慧可は達磨の法を受け継ぎ、禅門の第二祖といわれるよう

                      曹洞宗ではその達磨大師の徳を讃えてご命日の10月5日に忌日法要を営み 、また達磨講式を修している。
                          なお、慧可についてはその救法の迫情と祖恩に酬いるために、
                             12月9日の夜に断臂摂心(だんぴせっしん)といわれる坐禅修行を行う。


                      「 深 夜 雪 没 光 膝、断 臂 求 法 立 雪 人 」

                       《   二     祖      断    臂   》 雪 舟 画

                                

                 雪舟(1420〜1506頃) 室町時代の画僧、日本中世における水墨画の大成者。備中に生まれたとのこと。

                  少年期に京都、相国寺に入り春林周藤に仕え、1464年には、山口の雲谷庵に住して、すでに画僧として高名である。

                  1467年遣明船に陪乗して入明、天童山景徳寺で禅班第一座に任じ

                  北京各地で、壁画、四季山水図を描くなど、大陸の自然や風俗を実際に観察、

                  スケッチし、宋、元、明の古典を模写したことが、後の画風形成に決定的な影響を及ぼした。

                       1469年に帰国後は、日本各地を旅し、日本的な水墨画を大成せしめた。

                                       


                        明治41年  岡倉天心は国画玉成会を結成 また日本彫刻会を組織する
 
                            その合同展覧会に 米原雲海 二祖大師 出展す

                                 当時の写真 、作品の現品である

                                  二   祖   慧   可

                NO2  二祖 作品 2008年7.18〜12.21 「日本彫刻の近代」展 鹿児島市、呉市、横須賀美術館展

                      なお  稚児天神像 11歳、 清宵作品は 呉市、横須賀美術館展に出展
               
                                                                                                       



                     NO2  島根県立美術館での             米原雲海 菅原道真 、 稚児天神像  へ続く 

                     NO3  米原雲海             【 国登録 】    登録美術品第16号  へ続く  


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