御紋付 鳳凰 高坏盃     平田重光  制作
          直径 41cm   1尺3寸5分  。  高さ  30センチ  1尺

                                        平田重光 1855〜1926  安政2〜大正15年没

                                           平田派重光 系 7代 「 父  平田重之」

             この所蔵作品は鳳凰の(とさか)の数が京都霞会館作品は6本 当所蔵は5本にて 雄、雌一対を成す


                    明治天皇の行幸にあわせて、(M34年)頃制作、献上されたと思われます。

                    工房名、作者名ともに明記されていることは、非常にまれであり、よほどの実力者で無いと、できないことである。

                     宝暦(1751)頃よりつづく七代目にて鍛金師としての、当代一の名門であるがゆえのことである。

                                       但し、上記当所蔵作品裏銘板は欠落す



高坏盃    富山新聞記事         2000年11月14日付




  2000−11−14付富山新聞高坏盃に関する記 
    
   京都霞会館に一対を成すと思われる同形の作品があるが(とさかの数6個、当方は5個)今後の調査を待ちたい
   
    平田家 家系 東京文京区〜〜寺(寺名略)

  初代  安永年中  禅之丞 1772 。                       2代   五郎兵衛 1816
 
3代 4代 1782〜1827。                             5代 1802〜1877 

  6代 1827〜1890年 三之助 三陽斉 重之  (弟子平田宗幸=  帝室技芸員。  黒川栄勝。ほか)

       7代 1855〜1926年 重太郎  三陽斉 重光 東京神田区末広町住   寺院に代々の特に立派なお墓あり。 
                 
  8代 〜1970年 宗太郎=重太郎                               2代重光 襲名す

          江戸中期よりの代々の一派をなし江戸幕府・〜明治政府.宮内庁への作品御用達をなす鍛金師(打ち物)であり

一位黒川栄勝、 平田重光の相弟子平田宗幸の3人が名を馳せた

平田宗幸「帝室技芸院嘉永4〜大正9, 1851〜1920]6代 1827〜1890年 三之助 三陽斉 重之の弟子

 特に 
黒川栄勝 (東京 神田区 五軒町) は多くの当代一流象嵌師

         「加納 夏雄 、海野 勝a、香川 勝広 、小泉 勝親」 ら とともに作等に励んだ.  
   
 平田重光
は宮内庁関係の仕事に重きをなした
               御紋付鳳凰高坏盃
      御紋付鳳凰高坏盃  

    
     
旧御物 


 純銀製高さ30 径41センチ

、大正天皇より御下賜された.

 この(平田重光)作品は昭和期の混乱期に

  欧米の高官に、贈られた品であり

、平成2年に里帰りした

、名工平田一門七代の作品である

 .明治期の「御物」にして、帝室、宮内庁、様式を

 よく伝える品である.」




平田重光           温知図録集に収録 皇室献上品 純銀作品多々拝見す
           大正期に下賜された  旧御物 



                                    高坏盃裏銘 ,平田重光 花押 但し 裏銘板はこの作品には欠落する

                  ,純銀,鍛金  明治34年頃制作? 重光46歳 昭和天皇のご誕生 [1901.4.29明治34年]を記念して制作 依頼されたものか

                                   御物 明治34年頃製作 推定  平田重光 造 重光46歳頃?
 
                      大正天皇陛下より社団法人 霞会館。 旧華族会館に大正6〜8年頃下賜された作品が

              昭和の戦後期での流れの中で欧米高官に贈呈され、 再び日本に舞い戻った。 明治期宮内庁様式 銀鍛金史の名品である

                               明治中期以降西洋の文化に習い銅より銀、金製作品が目立つ

               中央の加納夏雄、海野勝a らは競ってその方向にて 制作に励んだ。一方地方では 金銀の高価な作品制作に

               資金、技術、販売、知名度、政府の後押しなどの面にて、 格差が一段と現れる。 今日においても、これだけ大きい

               《42cm》級の宮内庁様式作品は稀であり製作する為には40〜50歳代の 体力と技量の充実したときにしか成しえ無いことである。

               四羽の鳳凰、菊の御紋、桐など晩餐会に欠くことのできないテーブルの.宮内庁様式 帝室様式装飾品であった。

                      明治天皇紀より 。

                        東京彫工会 明治12年創立美術彫工の業を奨励す

                       上野公園第三回内国勧業博覧会 

                              皇后明治23年4,1〜7   金2萬円にて作品 買上げ

                              同行者        宮内大臣子爵 土方久元子爵 、  佐野常民


                             明治25年11月明治天皇 金300円賜う

                      第15回彫刻競技会 上野公園明治30年9,5〜30桜ケ岡  日本美術協会列品館にて開く 

                              5日 皇后 6日 天皇. 侍従試補=日野西資博. 

                      明治35年8,20〜9,21 上野公園    男爵米田虎雄 日野西資博 

                      美術展などに赴く  皇后 明治39,9,20 。明治41,9,20 。 明治42,9,21 明治44,6,13 
                           
                         明治期において 宮内庁関係はいかに殖産興業に目を向けられて いたかが良くわかる
                      
                        海外公賓の贈り物や皇居での晩餐会 国力顕示のための展示品など多くの金工、木彫、陶磁器
                      
                          七宝、絵画、牙彫、などあらゆる分野の作品が購入される

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