林忠正展図録・茨城・福山・高岡
林忠正の目ー 展東西文化の架け橋フランス絵画と
浮世絵1996〜1997年

高岡・ふくやま・茨城県近代美術館開催展


十二羽の鷹

明治26年≪1893≫アメリカ、  シカゴ.コロンブス万国博覧会 当時の展示風景











十二羽の鷹 制作者 林忠正, 鈴木長吉 と 24人の職工たち

                                         

                         

                    東京国立近代美術館(工芸館)所蔵 十二羽の鷹 の雄姿





























      十二羽の鷹  林忠正 構想考案 出展  。 鈴木長吉 制作 監修

     シカゴ, コロンブス世界博覧会 「1893年 (明治26年) 5月1日〜10月30日」 アメリカ

      四年の歳月と24人の職工を掛けて制作  明治26年3月10日〜11日帝國ホテル にて展示1万人近くに人が見学す

 有栖川宮,伏見宮,西園寺公爵なども観覧し 林忠正好みの思考に重みを増した

      シカゴ万博 東ギャラリーに展示された 12羽の鷹 作品は アメリカの美術館が購入予定であったが

 当時の不景気のためか購入されずに終わった 当時の販売価格≪4萬8千ドル≫

現在の価格に換算すると おおよそ 2億4千萬円と想定する

         これだけの 金銭にてはなかなか 手も出せない気もする

      アメリカのある新聞社は≪願わくば,この展示品がアメリカに残りますように 我々の未熟な造形芸術に,尽きせぬ

         霊感を与え,若い彫刻家や学生や美術愛好家は,大きな利益を得るであろう。我が国の美術館か都市で,

         この 十二羽の鷹を獲得することは大きな意義がある。しばらくの間は富豪の愛好家の,私的コレクションを

         飾ることになるであろうが........。≫いかに作品への期待が大きかったか目に見えるようである.

           著者 木々康子 林忠正と その時代 。世紀末のパリと日本美術≪ジャポニズム≫より参照

      
        下記文章の中で≪巴里万博,シカゴ万博で発表したが期待されたほどの反響はなかった。思いもかけぬ挫折である。

   当時の一般的西洋人の趣味は,しょせん安手なオリエンタル趣味の域を出ないのだ。

   忠正はそこに,日本と西欧世界との埋め切れないギャップを痛感するのである。彼の挑戦は失敗に終わり≫
 
   の文章は非常に 当時の世界情勢を把握していない内容の記述である。1889年巴里万国博覧会の

   ≪菊花文飾壺≫は2年3ヶ月の歳月を掛け また1893年アメリカ シカゴ コロンブス世界博覧会での≪12羽の鷹≫も

   多くの職工が鈴木長吉,銘 嘉幸 の基に集結 4年の歳月と24人の職工を掛け制作した。これら ≪林忠正≫ 考案 監修した

   作品群が西洋文化に受け入れられない道理があろうはずも無い,ただ 非常に高額の為

            ≪当時の販売価格48000ドル想定2億4000万円≫ 買い手が付かなかっただけ

   であり,今日これらの作品が身近に存在することは この上もない幸せである。これら 林忠正 制作依頼作品は明治期

   作品でも群を抜く 名品中の名品であると信ずる。帰国に際して自分の使命をなし終え 西洋美術 紹介の美術館

   建設を胸に秘め帰途についたであろう,郷愁の念もあったであろう。

  なお同じ菊の図柄の配置を工夫して制作した花瓶が、林忠正の期待どおり米国人ウィリアムとヘンリー・ウオルターズ親子

   によって購入され、現在アメリカのボルチモア市にある  THE WALTERS ART GALLERY 

 に所蔵されている。この作品は菱形の壺の形状をなし 下部2/3ほどに菊の文様

   を 肉合彫りにて仕上げされております。一連のシリーズ作品でありましょう


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