ジャポニスム学会   国際シンポジュウム 《林忠正。。ジャポニズムと文化交流への貢献》

                       

                                                            
                                                〈開催趣旨〉

            林忠正没後100年とジャポニスム学会創立25周年を記念し、日本女子大学・ジャポニスム学会主催、日本女子大学文化学会後援により、

               標記シンポジウムを開催する運びとなりました。

            パリに1878年から1905年まで滞在し、その間日本の美術品を扱う美術商として活躍した林忠正(1856−1906)は、

              西欧各国に向けて美術品を商い、日本美術とジャポニスムの発信者として大きな役割を果たしました。

            このシンポジウムにおいては、ここ5年間に刊行された『林忠正コレクション』(ゆまに書房)、

             『Correspondance adressee a Hayashi Tadamasa』(東京文化財研究所)、『林忠正書簡・資料集』(信山社)の

             成果を踏まえ、それぞれの分野でさらなる研究の深化が期待されます。林の日欧における人脈の発掘とそれぞれの芸術・文化に

             おける活動、とりわけ中心となるフランスのほかにも、ベルギー、イギリス、ドイツ、イタリアなどにおける彼の活動は、

             日本側の資料だけでは十分に明らかにすることはできませんでしたが、今回は各国の専門家約11名による、

             独自の資料を駆使しての新知見が期待されます。また、日本における彼の活動も、明治美術会やパリ万国博覧会事務官長の立場や、

             日本美術品との交換を通して収集した西欧美術品コレクション、日本にもたらそうとした多くの制度や概念などを検証することを通じて、

             さらに明らかになるでしょう。

           以上、林の活動を研究することで、ジャポニスム、東西文化交流、日本の西欧化などの分野で、多くの成果が期待されます。

                            日仏交流150周年記念企画 日仏芸術交流の架け橋  林忠正   

                        特集陳列 没後100年 林忠正コレクション ポール・ルヌアール展    東京国立博物館

                         平成館企画展示室 2006年10月3日(火)〜2006年11月26日(日)

  
  最年少の踊り子たち ポール・ルヌア    ール作 19世紀 林忠雄氏寄贈       (2006年10月31日(火)から)
 明治初期にパリで日本美術商として活躍した林忠正(はやしただまさ:1853〜1906)は、フランスをはじめとする
 ヨーロッパのジャポニスムの展開、および明治期の日本の美術工芸を語る上で、欠くことのできない重要な人物です。

 林は日本美術を西洋に紹介する一方、日本の美術界は西洋美術の持つ現実を再現的に描写する力に
 学ぶべきであるとして、西洋絵画を日本で展示して紹介しようとしました。

 ポール・ルヌアール(Charles Paul Renouard:1845〜1924)は当時、「イリュストラシオン」「パリ・イリュストレ」などの
 雑誌の挿絵で人気を博した画家で、その作品に注目した林は、1894年にパリでポール・ルヌアール版画・素描展を開催し、
 日本でこれらを展示する西洋近代美術館の構想に言及しています。

 このたび展示する作品は、その展覧会の出品作で、林の死後、彼の遺志を継いだご遺族から当館へ寄贈されたものです。

 ここに、林忠正没後100年を記念して、世界でも稀なまとまったルヌアール作品を一堂に公開します。
 林の遺志と日本美術へのメッセージを感じていただければ幸いです。
主な出品作品

          *所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
     ダンス(シャルル・ジロの色刷り版画集より) ポール・ルヌアール作 19世紀 林忠雄氏寄贈 (2006年10月29日(日)まで)
      ルヌアール像 ポール・マテイ作          19世紀 林忠雄氏寄贈
      スローンスクエア駅 ポール・ルヌアール作   19世紀 林忠雄氏寄贈 (2006年10月31日(火)から)
      トロッコを待つ鉱夫たち ポール・ルヌアール作 19世紀 林忠雄氏寄贈 (2006年10月31日(火)から)
      最年少の踊り子たち ポール・ルヌアール作   19世紀 林忠雄氏寄贈 (2006年10月31日(火)から)
    

                                  林 忠  の 眼 ー  展

                                          『高岡銅工ニ答フル書』

                        この「銅工二答フル書」に基づき下記 1889年巴里大博覧会出品ー横山弥左衛門孝純作 

            菊花文飾壺  
林忠正 図考案 好注文 【国登録】 登録美術品第1号(高岡市指定文化財 第57号2001年1月10日付)」

             が 林忠正 日本に帰国の折 同郷の横山弥左衛門孝純と綿密な打ち合わせをし制作指示をなしたのである。

                            この書の具現化が 菊花文飾壺 であり 類似作品も

                       、林の期待どおり米国人ウィリアムとヘンリー・ウオルターズ親子によって購入され、

                     現在アメリカのボルチモア市にある美術館
 THE WALTERS ART GALLERY に所蔵されています。

 

              明治の国際美術商・林忠正に販売学べ 高岡市と富大、共同研究   本文最後のページ

             林忠正 (明治39年) 富山県高岡市 明治19年(1886) / 1906年 紙本墨書 縦27.3p×横19.0p1冊(「林忠正草稿」用箋17枚綴 高岡市博物館所蔵)
                 高岡銅器の名工・白崎善平は輸出の不況を憂い、パリの林忠正に対策の教示を請うた。

        林 忠正は高岡出身で、西洋と日本との美術文化交流に寄与した美術商。    本資料はそれに答えたもので、

         世界的視野から当時の日本美術工芸の傾向及び海外輸出の現況を分析し、「西洋人の『用』を考えた機能と形態の重視が必要である」 などと助言をしている。

         本書はその成立に至るまでに幾つかの段階を経ている。忠正がパリで書いたとされる草稿は、その題を『高岡銅器維持ノ意見』

           といい 林家に伝世している。 その草稿は忠正の弟らの仲介で、「旧師笹原両先生」の推敲を経て、何冊か浄写されて白崎をはじめ親戚などに配布された。

         本書はそのうち、忠正の実家である長崎家に伝わったものである。

         また「旧師笹原両先生」とは高岡の教育家・笹原(のち原と改姓)北湖(雀斎)・遂初父子のことと思われ、この推敲により全体に表現が穏便に変更されている。

         また本書は龍池会(日本美術協会の前身)会員・山本五郎により、『龍池会報告』第20号(明治20年1月20日)、

             同第21号(同年2月20日)に2回分載もされている。
                 

          明治の国際美術商・林忠正に販売学べ 高岡市と富大、共同研究  

                         2008年01月03日    北日本新聞記事

          林忠正が記した「高岡銅工に答フル書」市場調査やデザイン重視などを提案し、当時としては画期的な

             アイデアが盛り込まれている=高岡市博物館所蔵

        富山大芸術文化学部(高岡市二上町、前田一樹学部長)と高岡市は新年度、明治時代に欧米諸国へ高岡銅器など

        日本の美術工芸品を広く紹介、販売した国際美術商、林忠正(高岡市出身)のものづくりに対する考え方を現代に生かそうと

        産業振興策の共同研究に乗り出す。

        十九世紀末に欧米で受け入れられた工芸品の特徴や林の販売手法を学び、

        新たな商品の開発や海外での販路拡大につなげる。高岡が誇るものづくりの先端技術を世界にアピールしていく。

        富山大芸術文化学部と高岡市は昨年十一月、連携協定を結んでおり、具体的な共同プロジェクトの第一弾となる。


        林忠正は、日本美術を評価するジャポニスムが流行していた十九世紀末のヨーロッパで、浮世絵や工芸品を販売した。

        日本の美術工芸品が成立した歴史的背景や文化的特徴を伝え、東西交流の懸け橋的存在と言われる。

        明治十九年には、郷土の高岡銅器の立て直し策について「高岡銅工に答フル書」に記している。


        その中で「まず『用』をわきまえる」「美術品、実用品を区別する」「相手国の事情に通じ、好みに応じた品物を作る」

       などと具体的にアドバイス。当時としては画期的な市場調査やライフスタイル、デザイン・機能を重視した商品開発や販売の手法を提案している。


       林のものづくりの考え方や美術工芸品の展示、販売法には再評価の声が高まっており、現代に生かせる方法を研究する。

        同学部教授陣を中心とするチームを組織し、答フル書の内容や林が取り組んだ手法、業績などを調査、研究する。


       ものづくりの伝統、技術を蓄積する高岡の製造業を対象に、新たな素材を含め銅やアルミ、プラスチックの新商品の開発や海外への販路拡大に

       林の手法を生かしたい考えだ。三年計画で、高岡市美術館などと連携して研究を進める。前田学部長は「世界は再び日本の技術に注目している。

       温故知新で林忠正から学び、世界が求める製品を高岡で作り、発信していきたい」と話す。

                  
                                 
             1996年。茨城県立近代美術館ー林忠正展(東西文化の架け橋)の展示風景写真
                      
              
 1996年にては各展示品は未指定にてその後の明治期工芸美術の再考にて指定されました

                  「鈴木長吉ー鷲置物ー東京国立博物館所蔵」=国重要文化財指定

                  「金森宗七ー花鳥文様象耳付大花瓶 【国登録】  、登録美術品第2号

                  「横山弥左衛門孝純 菊花文飾壺  【国登録】   登録美術品第1号

                       1889年巴里大博覧会出品作ー横山弥左衛門製 
 
                       林忠正制作依頼品 (高岡市指定文化財 第57号2001年1月10日付)」 

」                    

                            2008.2月より近代工芸の名品  花と人形展が登録美術品第1〜5号まで

                                一堂に東京近代美術館 工芸館としては初に展示されました。 
  

                        東京国立近代美術館 工芸館  近代工芸の名品   花と人形展  2008.2.26〜5.11 



                 1893年シカゴ。コロンブス世界博覧会出展  国重要文化財

                   東京国立博物館所蔵   鈴木長吉 鋳銅鷲置物

                                    

              

                                   銅鋳物    鷲   下記の考案図と酷似する 鈴木長吉制作の鷲図 

                                       

           

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