木村武山の唐獅子 発見 

                         岡倉天心の秘蔵っ子  木村武山 大正後期の作 寿王 唐獅子 対幅 

                      茨城県 五浦の四大弟子の一人 明治39年、日本美術の先覚者岡倉天心は、日本美術院をこの地に移し

                 、日本美術の再興をはかる。五浦美術研究所には、当時の母屋と天心が思索の場所として自ら設計した六角堂が残る。

                    唐獅子のタテガミ、尾 の毛は金,藍色 宝珠と極彩色の迫力みなぎる木村武山の特色をよく表わす


                  花鳥より仏画に転向するこの時期に描かれたと思われる。この種の画はまだ再見されておらぬ、

                  非常に貴重なる作である  総幅 667 ミリ 中 513 ミリ、 総高さ 2260 ミリ 中 1325 ミリ



                                木村武山            木村明正氏提供 

                                  

          

                                2008.1から 高岡 山町筋道り 国重要建造物 菅野家 にて展示中

                                
                   
                                 木村武山 落款  作品 寿王

                                      


      

        茨城 五浦海岸にそそり建つ 岡倉天心工房        手前より 木村武山。菱田春草。横山大観。下村観山          木村武山
           

                                   木村武山

             明治9年〜昭和17(1876〜1942)茨城県笠間市に生まれる、本名 信太郎。
             明治23年(1890)上京し川端玉章に師事する。翌年東京美術学校に入学、29年卒業し、同校研究科で学ぶ。
              後 岡倉天心、師 下村観山に傾倒し画家としての人生を観山と共に行動す
             31年天心の率いる日本美術院に副員として参加する。39年日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に際し、
             一家を伴い移住し、制作に励む。代表作の「阿房劫火」は五浦で制作した。大正3年(1914)大観らと日本美術院を再興する。
             初期の明治期 歴史画、次第に花鳥画、大正期以降は 仏画を多く描いた。

                                                                  明治 江戸切子

                             明治 江戸切子 銀化現象が見られる ニュウが入る 資料的価値

                                 


                                   慶応元年       ギヤマン手皿 

                                     
                    

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