林忠正の偉業  明治期、 日本の文化を欧米に 西洋絵画を日本に紹介

                                 加越能 逸品 珍品 お宝探し

           富山県 高岡市出身 世界的な美術商 林忠正》 好みのデザインに制作
 

               明治時代 越中のヨーロッパ、アメリカを謳歌した世界的な美術商 林忠正の足跡

                                           1997年3月22日 富山新聞 記事

                                    登録美術品制度って何?

                                 1999年3月 【国登録】 登録美術品に認定の折

                          菊花総文様手焙 より 名称変更す ≪菊花文飾壷

                        gallery  月刊[ギャラリ−]  1999年6月号 より

                                   

                         

    
                          黄銅製 鋤出彫 「菊花文飾壺」  (東京国立近代美術館、工芸館寄託)

                         

                          2008.2月より近代工芸の名品  花と人形展が登録美術品第1〜5号まで

                                一堂に東京近代美術館 工芸館としては初に展示されました。 
  

                         東京国立近代美術館 工芸館  近代工芸の名品   花と人形展  2008.2.26〜5.11 

                 日仏交流150周年記念企画 日仏芸術交流の架け橋  林忠正 

                            日本におけるフランス美術コレクションの父 宮崎克己(美術史家)
  

02.林忠正 〜日本におけるフランス美術コレクションの父〜宮崎克己(美術史家)
  日仏修好通商条約が締結された1858年、日本とフランスの交流は始まりました。
今年はそれから数えて150年目を迎える節目の年。
日仏関係に新たな活力をもたらす好機として、
両国でさまざまな記念イベントが計画されています。
MMFでは、日本とフランスの芸術交流をテーマに、美術コレクターをはじめ、
その架け橋として尽力した人々、そして彼らの情熱を宿した美術館を取り上げ、
連載記事としてお送りいたします。
連載第2回目は、日本に初めてフランス美術を紹介した林忠正を積極的に取り上げ、
美術史家の宮崎克己氏にその業績をご紹介いただきます。
             
  
日本初の西洋美術 コレクターの誕生 運命を変えた パリの万国博覧会 画家との交流を深める フランスでの日々 拡大するコレクションと 美術館創設の夢 散逸した 林コレクションと 後継者たち
日本初の西洋美術コレクターの誕生  
▲林忠正
 画商・林忠正(1853〜1906)は、日本にフランス美術を紹介した先駆者です。彼は日本人として初めて、印象派などフランス美術の大コレクションをつくり、その一部を日本で展示しました。それは明治中期以降のことで、この時期に活躍した人をもう一人挙げるとなると、画家の黒田清輝が思い浮かびます。パリに留学した黒田は、自分の絵を通して当時のフランス画壇の傾向を日本に伝え、また美術学校や展覧会の制度を移植しました。しかしその黒田も実は、当初法律の勉強のためにパリに行っていたところを、すでに数年前から現地で活動していた林らに勧められて画家に転向していたのです。林以前に、フランス美術を積極的に日本に紹介した人はいませんでした。
 このように言うと、幕末に日本に来たワーグマンや、明治初期に工部美術学校のために招かれたフォンタネージはどうだったのか、と思いあたります。しかしワーグマンはイギリス人の挿絵画家でしたし、フォンタネージはイタリア人でした。明治初期の日本は、政治・経済的にはイギリスに密接でしたし、美術についてはイタリアと関係が深かったのです。
 
美術教育のために日本に招かれたのも、画家が日本から留学したのも、また日本に入ってきた絵も、イタリアが中心で、フランスの美術は当時の日本で意外に影が薄かったと言えます。もっともイタリア美術を含めても、日本にコレクションと呼べるようなものが、林以前にあったわけではありません。林は、日本で最初の西洋美術コレクターだったのです。  

運命を変えたパリの万国博覧会  
▲林忠正が初渡仏する契機となった1878年のパリ万国博覧会の様子。
(C) RMN - cJean-Gilles Berizzi
 さて、林忠正がパリに着いたのは1878年のことです。その年にパリで万国博覧会があり、それに出品する起立工商会社という一種の貿易会社の社員・通訳として渡仏したのでした。林は、1853年に今の富山県高岡市に医師の子として生まれ、明治維新の直後に東京に出て、開成学校、東京大学などでフランス語を中心に勉学に励みました。彼のような立場の者の多くが政府の役人になることをめざしたものでしたが、林はフランスに行きたいという一心で、万博に参加する起立工商会社に入社し、渡仏を果たしたのでした。
 この時の万博の日本からの出品物は大変な注目を浴び、フランスでジャポニスム(日本趣味)が盛り上がる重要な契機となりました。印象派の何人かは後年、日本の展示場においてフランス語で熱心に見学者に説明をする日本人の若者のことを回想していますが、それが林だったのです。
 
 林忠正は1878年のパリ万博が終ったあとも現地に残り、出品物をフランスなどで売りさばく仕事をしました。やがて1880年代前半にパリで、画商としての活動を始めます。林の仕事はしたがって、フランスに日本美術を広めることから始まっていたのです。パリの日本美術愛好家たちに、流暢なフランス語で日本美術について正確な知識を与えることのできた、ほとんど唯一の日本人が林だったのです。



画家との交流を深める フランスでの日々  
▲コラン《若い娘》1894年、福岡市美術館
 さて、林忠正は、パリでの事業が軌道に乗る頃から少しずつフランス美術のコレクションをつくり始めます。彼が日本美術を売った相手には、ゴンス、ゴンクールなど当時のそうそうたるジャポニザン(日本美術愛好家)のコレクターがいました。一方、ドガ、モネといった印象派なども日本美術に強い関心をもっており、林は彼ら画家たちとはしばしば、作品を交換していました。印象派ではありませんが、当時アカデミックな世界で多少の名声を得ていた画家コランとも彼は親しくなり、作品を交換しました。ちなみにコランは、黒田清輝など何人かの日本人の留学生画家が師事した画家です。現在日本には、福岡市美術館や前田育徳会などに、コランの重要な作品が収蔵されていますが、そのほとんどが林の旧蔵品です

拡大するコレクションと美術館創設の夢  
▲コロー《ヴィル・ダヴレー》1835-40年、石橋財団ブリヂストン美術館
 そのようにして林のコレクションは自然に膨らんでいったのですが、1890年代に入ると、彼は積極的にコレクションを拡大し始めます。その頃から彼は、日本の西洋美術愛好家たち、とりわけ日本の洋画家たちの参考になるような、同時代のすぐれたフランス絵画を集め、いずれ日本で美術館をつくろうという計画を心に抱くようになったようです。1890年代の画廊からの購入品については、林が買った際の領収書が残っていて、彼のコレクションの拡大がよく分かります。領収書は作家別に見ると37人のものがあり、その中の金額の多い上位5人は、ドガ、コロー、モリゾ、ピサロ、モネでした。この5人のうち、コロー以外は印象派です。
 印象派のひとつ前の世代の画家、コローは林のお気に入りの画家の一人だったようで、林コレクションが散逸したあとでも、彼がもっとも大事にした《ヴィル・ダヴレー》は家族の手元に残り、現在ブリヂストン美術館の所蔵となっています。
 
もう一人、ポール・ルヌアール(印象派のルノワールではない)という版画家を林はひいきにしていたのですが、ルヌアールの版画・素描200点のコレクションは林の死後、遺族から帝室博物館(現・東京国立博物館)に寄贈されました。  

散逸した 林コレクションと 後継者たち  
泉屋博古館東京分館
▲モネ《モンソー公園》1876年
 林忠正の西洋美術コレクションは、版画を除いても200点以上ありましたが、実は彼の生前にはまとめて展示されることがありませんでした。印象派の作品のうち比較的地味なものが、日本の洋画家たちの団体である明治美術会に参考として出品されたり、帝室博物館に寄託されたりしていましたが、彼の生前に、ドガ、モネ、ピサロ、ルノワール、モリゾ、カサットなど今日の目からするともっとも重要な部分は、ほとんど日本人の目に触れることがありませんでした。林は病を得て1905年に帰国し、翌年東京で亡くなりますが、彼のコレクションは当時の日本のフランス美術理解からすると、あまりに新しかったのです。1913年に林コレクションの重要部分は、まとめてアメリカの競売に掛けられ散逸しました。その直前に、白樺派の若い芸術家・文筆家たちが林コレクションを見せてもらい、感激して何とか日本にとどめようとしたのですが、間に合いませんでした。  
 林が晩年に親密な交遊をもったモネの作品も、林が所有していたものは現在アメリカの美術館などに入っています。しかし、1890年代に外遊の途中でパリに寄った住友吉左衛門に林が斡旋したモネの2点、《サン=シメオン農場の道》と《モンソー公園》が現在、住友コレクションを収めた泉屋博古館東京分館に所蔵されています。
 結局、林忠正のフランス美術コレクションは、全貌を日本で見せないまま散逸してしまったのですが、その無念さは、やがて美術館建設運動を始めた白樺派や、一大コレクションを築く松方幸次郎、大原孫三郎ら次の世代に引き継がれたと考えられます。
 

                              著者プロフィール:宮崎克己(みやざき・かつみ)

美術史家。1952年に生まれる。石橋財団ブリヂストン美術館学芸課長・同副館長などを歴任。著書に
『西洋絵画の到来−日本人を魅了したモネ、ルノワール、セザンヌなど』(日本経済新聞出版社)、
『ルノワール−その芸術と青春』(六耀社)など、訳書に『セザンヌ』(岩波書店)などがある。


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