山川孝次 作品絵図 高岡 角羽家より発見

                       角羽勘左衛門に横浜支店と高岡本店あり、

                      下絵は原寸大の大きさに描かれます。色もできるだけ実物に近い色にされます。 但し製作中に変更されることも有りうる。

                     この2枚の図はあわせると実寸法で 貴重な資料であるが、 原本紛失し このコピーしか有りません。

              この作品下図は 金沢 水野源六 八代。 高岡 角羽家。 高岡 大橋家 。 金沢 圓中孫平。東京国立博物館所蔵の温知図録。など

                      おおくの家系に保存されており、また10数年後 「アメリカ、コロンブス展  明治26年」

                       高岡 関儀平が 同型の鋳型にて 制作しております、  今日にても 通じるデザインとも思われます

                        1893年シカゴ コロンブス博、 関沢卯市 「古代唐草浮象嵌花瓶」 のHPに記載 関義平 写真参照

      
            


温知図録集 より  山川孝次 制作絵図


東京国立博物館所蔵

温知図録集 第25帖

上記に該当する 絵図

  

                                     東京アートレビュー
 
  



第5回 (2)
世紀の祭典 万国博覧会の美術





<1878年パリ万国博覧会>
ジャポニスム旋風が本格的に顕現してきた時代の万博です。

「金銀象嵌兜香炉」 【 8 】
(銅器会社、明治11年(1878年)頃 石川県立美術館)
この展覧会は、“香炉”だけを軸に追っても面白く感じられます。ここで、前出の2つの香炉とはまた随分趣を異にする作品が登場します。
日本の兜に西洋甲冑風の味つけが施され、よく見るとアラベスク文様が隙間を埋めています。静かな迫力の源が、目を凝らすと浮かびあがってくる。そんな一品です。

「磁胎七宝草花文花瓶」 【 9 】
(竹内忠兵衛 明治11年(1878年)頃 オーストリア応用美術館、ウィーン)
メインの草花文は幾分モダンな仕上げで、現代の作家の作品にも見られそうな風合い。しかし、よく見ると、口の内側と底の部分、そして首まわりの紋様と、3種類それぞれルーツの違うパターンが組み込まれていて、なんとも不思議な印象です。ジャポニスムに基づく海外作家の作品ではなく、純粋なる日本の作品なのですから・・・。
様々な事情や意識や使命感がないまぜになった表現が、時を越えて、現代の視線で穏やかに解きほぐされています。


<温故図録>
“画道は美術製品の元素にして工芸妙技の精神なり”
・・・というわけで、殖産興業の拡大をねらう明治政府は、輸出拡大の即効手段として工芸品の図案の改良を試みます。工芸品に絵画的な価値を見出してもらおう、という算段でした。
伝統的な画題や文様に新しい意匠を加えて調整したことから、その図案集はこの名前を冠することになります。

「温故図録 第25帖」 【 10 】 11の金銀象嵌環付花瓶は温知図録に
 掲載された図と符合する作品として非常に稀な優品である
 (東京国立博物館所蔵)

「金銀象嵌環付花瓶」 【 11 】
(山川孝次、明治10年(1877年)頃) 第一回内国勧業博覧会出展
 再度 明治11年 巴里博覧会 出展
図録と実際の作品の例。図録自体がグラフィカルでとても美しいものです。・・というより、実際の作品よりも、むしろこの平面の表現をなされた図録のほうが、より日本的なエッセンスを直截に伝えられるのでは? と感じてしまいました。

フィラデルフィア万博の際には、明治政府の意図とは別に、出展した日本古来の陶磁器(縄文時代まで遡るもの)が評価されたり、マリー・アントワネットをはじめ早い時期から日本の美術に関心を寄せていたコレクター達が作りあげてきた日本趣味の土壌が生きてきたり、本格的なジャポニスムの作品が作られ始めたり、など、いくつかの(外からの)多角的な流れもありました。


<ジャポニスムの典型的な作品>

「日本人物図扁壷」 【 12 】
(クリストファー・ドレッサー ミントン社 イギリス・1876年 東京国立博物館)
中国の扁壷に鮮やかなトルコブルーの地、そして日本の浮世絵から着想を得たと思われる図案。それぞれが混じり合うのではなく、かっちりと形を保ったまま共存しています。まさに“日本趣味”という呼び方がぴったり嵌まる、素直でストレートな表現。小気味良いほどです。
西洋人の日本趣味を研究して輸出品の図案に活かそうと考えていた日本政府の目には、どう映ったのでしょうか。

「ブロンズ台付日本風金箔画花瓶」 【 13 】
(バカラ社 フランス・1880年 バカラ美術館、パリ)
これは少し洗練された、美しい融合の例。日本の伝統的な花鳥図を摂り込んだ作品です。
余白の考え方、植物の描き方にはやりエキゾチックなものを感じますが、それが不思議な魅力となっています。




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【 8 】 金銀象嵌兜香炉
銅器会社、明治11年(1878年)頃 石川県立美術館


【 9 】 磁胎七宝草花文花瓶
竹内忠兵衛 明治11年(1878年)頃 オーストリア応用美術館、ウィーン
MAK-Austrian Museum of Applied Arts / Contemporary Art, Vinna

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【 10 】 温故図録 第25帖
   東京国立博物館 所蔵

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【 11 】 金銀象嵌環付花瓶
山川孝次、明治10年(1877年)頃
 国指定 登録美術品 第3号

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【 12 】 日本人物図扁壷
クリストファー・ドレッサー ミントン社 イギリス・1876年 東京国立博物館


【 13 】 ブロンズ台付日本風金箔画花瓶
バカラ社 フランス・1880年 バカラ美術館、パリ





第5回
世紀の祭典 万国博覧会の美術





「万国博覧会の影響で歴史的なものは?」と聞いて思い浮かぶのは、やはり“1900年周辺のパリ”という人は少なくないのではないでしょうか。エッフェル塔、サラ・ベルナール、貞奴、あるいはミュシャのポスター。可能性と新しさにあふれたアール・ヌーボーのイメージと重なっています。しかし、実際には万博の歴史はもっと古く、深いものです。ひとつひとつの博覧会がそれぞれの時代の文明と英知の頂点の記録であるとともに、次のステップへの牽引要素でもあるという、とてもダイナミックなものであったといえます。

「万博の時代」と呼ばれる19世紀後が、やっと日本で歴史として客観的に語られるようになってきた現在。2005年に愛知万博を控えたこの時期に、万博と日本との関わりについて大規模に特集し、その時代の空気を再現する試みも含めて展開されているのが、この「世紀の祭典 万国博覧会の美術」です。単に“観る”というよりは、“美術界の巨大な歴史のうねりを追体験する”という味わいの展示会でした。

全体は二部構成で、「第一部・万国博覧会と日本工芸」と「第二部・万国博覧会と西洋美術」から成っています。ここでは、日本が外を向いてモノづくりを始め、その結果と意識の軌跡が見られるという企画である第一部に的を絞ってレポートしていきます。


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【 1 】

<1873年 ウィーン万国博覧会>
日本が国としてはじめて参加した博覧会です。めくるめく好奇心と憧れの祭典のムードが、見事に再現されています。 【 写真 1 】

「染付御所車蒔絵大花瓶」 【 2 】
(明治6年(1873年)頃 有田ポーセリンパーク、佐賀)
当時の雰囲気が甦る陳列のなかでも、ひときわ目をひく巨大な花瓶。大きさ、文様などの要素は明らかに過剰でありながら、造形自体はいたってシンプルで、一般家庭の卓上にあるそれと変わりません。このため、圧倒的なパワーがありながら、不思議な親しみ易さも感じられます。
器の表面の空間をひたすらに埋めていく勢いには、どこか若々しさのようなものも感じます。“海外向けの日本工芸品”という、いわばニュージャンルを、先陣を切って切り拓いて行った作品であるからでしょう。

「平季武産女鳥に会図大香炉」 【 3 】
(大島安太郎、明治6年(1873年)頃 オーストリア応用美術館、ウィーン)
仏教的なモチーフや繰り返しのパターンをベースに、メインテーマとなっている“産女鳥(うぶめどり)”をはじめとした土着的な神話のなかの異形のものが描き出されています。
あえて、“日本が呈示できる物語”の集大成ということで複数のジャンルを混ぜ合わせてみたのでしょう。宗教や神話の棲み分けはすでに済んでしいた時代ですので、一度は整理・洗練されたもの同士をあらためてミックスしたことによる、表現の飽和状態。若干背徳的な印象も手伝って、惹きつけられます。


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【 4 】

<1876年 フィラデルフィア万国博覧会>
前回の博覧会より一歩踏み込み、日本の風俗や美術工芸の歴史をも世界に伝えようとした万博です。 【 写真 4 】

「唐子獅子舞装飾大香炉」 【 5 】
(明治9年(1876年)頃 フィラデルフィア美術館)
ウィーン万博の大香炉での試み・企図をさらに加速したような作品。これをぱっと観て、(現代の我々がある程度の共通認識のもと共有している)“和”を感じとるのは・・なかなか、難しいのではないでしょうか。
モチーフこそ、牡丹や獅子舞、龍や麒麟と伝統工芸の分野で普遍的なものが中心となっていますが、あしらいやつくり込み・装飾が、日本人が見てもかなりエキゾチックなものに感じられます(むしろバリやインドで出会えそうな雰囲気です)。
芸術性はもとより、技術の高さをとにかく表現・具現化しようとする意思が伝わってきます。

「四季草花堆朱箪笥」 【 6〜7 】
(明治9年(1876年)頃 フィラデルフィア美術館)
人間の視線と意識を上手に誘って、新鮮な驚きを与えてくれる、美しい作品。朱と浅葱色の補色も目に鮮やかに映ります。
こうした、四角い面を使ってパラレルワールド的に物語を封じ込めたり、逆に展開したりしてゆく表現方法(棚や箪笥以外にも、箱の五方の面を使って表現する蒔絵の箱など・・)は、きわめて日本的であり、表現として日本の得意分野であるといえるのではないかと、個人的に感じています。
四角いフレームが行き交うことで新しい世界が生まれる、襖絵の文化があるからでしょうか。他の、肩に力の入った立体物に比べて、いくぶん洗練されているように見受けられます。




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【 2 】 染付御所車蒔絵大花瓶
明治6年(1873年)頃 有田ポーセリンパーク、佐賀

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【 3 】 平季武産女鳥に会図大香炉
大島安太郎、明治6年(1873年)頃 オーストリア応用美術館、ウィーン
MAK-Austrian Museum of Applied Arts / Contemporar, Art, Vienna

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【 5 】 唐子獅子舞装飾大香炉
明治9年(1876年)頃 フィラデルフィア美術館
Philadelphia Museum of Art, The George W.B. Taylor Collection bequest of Mrs. Mary E. Taylor, 1917





【 6 】【 7 】 四季草花堆朱箪笥
明治9年(1876年)頃 フィラデルフィア美術館
Philadelphia Museum of Art, Gift of Miss Elizabeth ca. Robertss, 1916

第5回 (3)
世紀の祭典 万国博覧会の美術





<1885年 ニュルンベルグ金工博覧会>
万博とは違いますが、工芸の技術を急激に伸ばしていた同時期の日本の輸出工芸品の記録として、ひとつ取り上げておきたいものがありましたので・・・。

「七宝群鶴飛翔図皿」 【 14 】
(林小伝治 明治18年(1885年))
洗練されたこの色彩と構図は、このあとの日本の向かうべき道を指し示しているかのようです・・といっても、とても個人的な印象(願い、むしろ好み)であるのですが。


<1893年 シカゴ万博博覧会>
次第に、世界に日本が呈示していけるもの、アイデンティティについて明確な方向性が見出されていきます。この万博では“日本の工芸品を美術品として認知させる”ことに主眼が置かれました。

「七宝桜花群鶏旭日図大香炉」 【 15 】
(林喜兵衛、杉浦行宗等合作 明治26年(1893年) (有)アート・プロモーション)
・・・ここまでに香炉には何度も驚かされてきましたが、これには度肝を抜かれました。和・アジア・イスラム・欧、そしてアメリカの、デザインのエッセンスを貪欲に吸収した上でアートとして起とうとする、エネルギーの塊のような作品です。

「七宝富嶽図額」 【 16 】
(涛川惣助 明治26年(1893年) 東京国立博物館)
額装することで絵画としての価値をアピールしようとしていますが、実は七宝の作品です。実際に観ても、まるで絵画のように感じられます・・随分透明感があって美しいな、と感ずるくらいで、気がつかない人も多いのではないでしょうか。
これが万博では“painting”の部門に展示されたことで、関係者は喜びをわかちあったということです。

しかし、この後の1900年のパリ万博では、再び美術と工芸が切り離され、日本が考えていた美術の定義は否定されてしまいます(フランスの古典的な美術の枠組みでは、美術品として扱えるのは絵画・建築・彫刻のみだったのだそうです。冒頭で触れた通り、“最も万博らしい、可能性と新しさにあふれたアール・ヌーボーの祭典”である万博だったのですが・・・)。そして、日本の工芸美術は、再び受難の道をたどります。

職人の手わざに拠る美しい工芸品が美術品としての地位を獲得するまでに、ここまでの腐心と時間が必要だったことには純粋に驚かされます。ここでは、日用の工芸品とみなされるものが殆どで、襖絵や掛け軸ですら家具に分類されてしまっていたそうです。民芸運動や“"用の美”という言葉が生まれたり、機能美のバウハウスが出てくる少し前の時代です。

すべてを振り返ることができる現在の視点から考えると、「なにもそこまで西洋美術の枠組みにとらわれなくても・・」と思わなくもありません。しかし、その時代ごとにキャパシティを広げてきた人々の存在があったからこそ、日本の、そしてひいては世界の、美の表現や伝え方の幅がここまで多様化することができたのではないかとも思います。ひょっとすると、日本の、受容性・柔軟性に富んだ国民性の遺伝子は、こうした表現活動のなかで培われてきたのかもしれません。


<1905年 リエージュ万博>
「室内装飾透視図(百花百鳥の間」 【 17 】
(菊池芳文 明治37年(1904年))
綴織の壁掛けでつくられた、日本の感性のパラダイス・美のイメージソースの集大成ともいえるような美しい空間です。当時の会場がこの空気に包まれたことで、体験的に“日本”を理解した人も多かったのではないでしょうか。会場では、一部立体的に再現がなされていました。


今回の展示の「第一部」で体験することができるのは、“日本人が一番知らない日本”なのではないか、とも思いました。

武士という後ろ盾をなくしながらも、懸命に仕事に取り組む工芸職人達のプライドと技術や、政府の企図、工芸技術そのものや科学の進歩、時代にともなう人々の意識の変化、他分野からの潮流など、いくつもの歯車がからみあい加速していくなかで、現代のような個の表現の時代では望めないようなダイナミックな作品や表現が生まれたのでしょう。

いわゆる感性重視の“アート”ではなく、多分に恣意の働いた“工芸品”であること。そしてそれらが奇跡のように一堂に会していることで、独特のエネルギーの流れ自体が浮き彫りになっている、とても立体的な展示でした。いろいろな切り口、眺め方が可能なのですが、どなたにとっても、そしてどう味わっても、個人個人で抱いている“日本”のイメージを見つめなおす興味深いきっかけとなることは確かなのではないでしょうか。





 2005年日本国際博覧会開催記念展 世紀の祭典 万国博覧会の美術

 会場:東京国立博物館
 会期:2004年7月6日〜8月29日
 





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【 14 】 七宝群鶴飛翔図皿
(林小伝治 明治18年(1885年))

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【 15 】 七宝桜花群鶏旭日図大香炉
(林喜兵衛、杉浦行宗等合作 明治26年(1893年) (有)アート・プロモーション)


【 16 】 七宝富嶽図額
(涛川惣助 明治26年(1893年) 東京国立博物館)
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【 17 】 室内装飾透視図
(百花百鳥の間(菊池芳文 明治37年(1904年))

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